フランスは「師」であり幕府への資金提供者

小栗が手本としたのは、アメリカだけではありませんでした。当時、産業革命によって一強の状態にあったイギリスに対抗して、急速に力をつけて肩を並べるほどに成長していたフランスからも、より多くのものを学びました。

否、あくまで仮想敵国と考えたアメリカに比べ、フランスはまさに小栗にとって「師」であり、幕府への大切な資金提供者でもあったのです。

フランスの急成長の背景には、国民から資金を国が借り入れてインフラ(道路・鉄道・港湾・ダムなどの産業基盤の社会資本、正しくはインフラストラクチャー)を整備し、利息をつけて国民に返済するという経済モデルの成功がありました。

この成功例にならい、小栗はフランスと手を組んで「幕仏同盟」を結成します。

海舟が懸念していた横須賀製鉄所の莫大な建設費用についても、フランスからの借款しゃっかんによってまかなう算段を、小栗はつけていました。

さらに彼は、この政府借款を返済するための、今日でいう銀行と総合商社にあたる「兵庫商社」の創設を計画します。

小栗はフランスから資金を調達することで、徳川将軍家をナポレオン3世の地位へ、日本をフランス式の郡県制へと改め、近代的な造船所や製鉄工場を整備し、一方で貿易による国力の増強=陸海軍の建設を構想していたのです。

最後まで幕府を見捨てることができなかった

しかし、幕末の情勢は刻一刻と変化していきます。莫大な費用を投じた横須賀製鉄所が完成したときに、果たして幕府が残っているかどうか……。

小栗の部下であり、同じ安積艮斎を「師」とする兄弟子の栗本鋤雲くりもとじょううん――外国奉行や勘定奉行を務め、明治時代になってからはジャーナリストに転じた――が、小栗にその疑問をぶつけました。

すると小栗は、横須賀製鉄所を土蔵どぞうにたとえたといいます。

「仮に幕府が滅び、徳川家が家屋敷を売ることになっても、“土蔵付き売家”としての名誉は残り、胸を張って売ることができる」

栗本はのちに、「小栗は偉かった、あの人は将来の新生日本の誕生というものを、しっかりと見通していた。最高に素晴らしい人物だった」と回顧しています。

――小栗の最期は、勝海舟と対照的に悲劇の道を辿りました。

彼の上司である15代将軍・徳川慶喜は、京都で大政奉還たいせいほうかんをして、新政府の誕生を待てば、十分にその主導権を握れたものを、つい迂闊うかつにも薩長の挑発に乗ってしまい、鳥羽・伏見の戦いに踏み切り、しかも負けて江戸に逃げ帰るという醜態をさらしてしまいます。

それでも小栗は懸命に、慶喜への説得を試みます。江戸城は当然のごとく、官軍をめぐって和戦両論で大揉めとなりました。

その大評定の席で、恭順きょうじゅんの意を表することを決めていた慶喜は、立ち去ろうとするのですが、そのはかまを、小栗は摑んで、「フランス式歩兵と旧幕府の海軍があれば、薩長同盟軍に勝てます」と、引き止めようとします。

しかし、慶喜は耳を貸さず、小栗の手をパッと払って、そのまま退室してしまいました。その後、慶喜は自らは上野の山(寛永寺)に謹慎してしまったのです。

失意の小栗はその任を解かれ、拝領地に戻ってもよい、との徳川家の許しを得て、江戸から離れた上野国群馬郡権太村こうづけのくにぐんまぐんごんたむら(現・群馬県高崎市倉渕くらぶち町権田)で農業に従事することにしました。

加来耕三『歴史の一流は「師匠」から何を学んだのか』(クロスメディア・パブリッシング)
加来耕三『歴史の一流は「師匠」から何を学んだのか』(クロスメディア・パブリッシング)

ところが官軍を称する新政府の軍隊は、何もしていない小栗を捕らえ、抗弁も聞かずに、斬首にしてしまいます。

もし小栗が生きながらえて、明治維新後も活躍していたならば、明治の時代はもっと違うものになっていたであろうに、と筆者は残念でなりません。

小栗が造った横須賀製鉄所は、日清戦争、日露戦争における日本の勝利の、陰の立役者といっていいかもしれません。

その証拠に、日露戦争の日本海海戦を勝利に導き、ポーツマス条約の締結を促したとされる連合艦隊司令長官・東郷平八郎とうごうへいはちろうは、小栗の遺族に対して、「小栗さんが横須賀の工場をつくってくださったおかげで、われわれは勝てました」と感謝の気持ちを述べたほどでした。

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