漢学だけでなく蘭学にも国際情勢にも通じる

軟弱で使いものにならない旗本が多い中にあって、小栗忠順は幼い頃から文武に勤しみ、見事な成績を収めていました。剣術は直心影流を学び、10代で免許皆伝を授けられており、海舟とは師は異なりますが、流派はいわゆる同門でした。

剣術だけでなく、小栗は勉学にも励みます。彼の師匠は朱子学者の安積艮斎あさかごんさいですが、艮斎は漢学だけでなく蘭学にも、国際情勢にも通じていました。

艮斎は昌平黌の教授に抜擢される以前、駿河台の小栗家の屋敷内の長屋で、私塾「見山楼けんざんろう」を開いていました。このおり、海防論についての名著『洋外紀略ようがいきりゃく』も発表しており、のちには吉田松陰や高杉晋作、岩崎弥太郎いわさきやたろうなども門下生として学んでいます。

艮斎の私塾は小栗家の屋敷内にあったため、小栗も自然に彼から多くを学びました。

師を探すのに苦労した人が多い中で、小栗は恵まれていたといえます。

横須賀ヴェルニー公園に建つ小栗忠順の胸像
横須賀ヴェルニー公園に建つ小栗忠順の胸像(写真=番記者/CC-Zero/Wikimedia Commons

日本には新しい軍備の増強が必要と学ぶ

ある日、艮斎から「異国船打払令いこくせんうちはらいれいは、密かに中止となりましたが、ご存知ですか」と問いかけられた小栗は、「えっ? 知りませんでした。なぜ中止になったのですか」と問い返します。

すると艮斎は、「つづければ、日本が滅びるからです」と事の真相を教えます。

隣国清で戦われた、イギリスとの戦争――のちに阿片戦争と呼ばれることになるこの戦いは、対清貿易で赤字となったイギリスが、人を廃人にする阿片を清国内で商いしたことから、これを排除しようとした清国と争いとなり、ついに戦争に発展。

封建制の欠点(挙国一致の体制がとれない)を突かれ、清国は敗れて、南京なんきん条約を結ばされ、香港を割譲したほか、広東かんとん、上海などの五港を開港することになってしまいました。

清国よりはるかに小さな日本が、海外の黒船を打ち払いつづけたらどうなるか……。

艮斎との対話を通じて、小栗は欧米列強の最新兵器に対抗するには、日本も新しい軍備を増強しなければならないことを学びました。