世界では情報戦が繰り広げられている。元陸将の福山隆さんは「ハーバード大学で研究していた時、20代後半の中国人留学生に突然アプローチを受けたことがある。当時の彼女の言動は明らかに不審だった」という――。

※本稿は、福山 隆『陸軍中野学校のDNA 国家情報局創設前に知っておきたい』(ワニブックス【PLUS】新書)の一部を再編集したものです。

ハイヒールを履いた女性の足元
写真=iStock.com/Mananya Kaewthawee
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ボストンで痛感した日本の弱点

私は平成17(2005)年3月に陸上自衛隊を定年退官し、同年6月から2年間、ハーバード大学アジアセンターの上級客員研究員として米国に滞在する機会を得た。

ボストンに住み、ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学(MIT)の講義を自由に聴講できるという、研究者としてはこのうえない環境だった。好奇心の強い私は、政治学、国際関係論、軍事史、情報学など幅広い講義に足を運び、多くの教授、学生、留学生達と議論を交わした。

この2年間でもっとも強烈に感じたのは、日本政府のインテリジェンス活動のレベルが世界標準からあまりにもかけ離れているという事実だった。

その差は単なる「遅れ」ではなく、国家の生存戦略に関わる“構造的な欠落”と言ってよい。

以下に、私がハーバードで目の当たりにした象徴的なエピソードを紹介する。

暴かれたソ連・東欧の諜報活動

冷戦崩壊後、ポーランドをはじめ東欧諸国は旧政権の諜報資料を一定範囲で公開した。これは米英にとって、まさに「冷戦勝利の戦利品」であった。

平成18(2006)年11月、私はハーバード大学の「冷戦研究プロジェクト・セミナー」に参加した。

この日の講師は、ベルギーから招かれた若き研究者アイデスバルド・ゴディーリス博士(当時32歳)。テーマは「ポーランド人民共和国の諜報活動」であった。

博士によれば、東欧革命後に誕生したポーランド第三共和国は、ポーランド統一労働者党政権の諜報機関が収集した膨大な資料を限定的に公開しているという。その量は、積み重ねれば160キロメートルに達するというから驚きだ。

資料は1948年の統一労働者党政権誕生以降のもので、初期は統一性に欠け、手当たり次第に集めた雑多な情報が多い。しかし、年月を経るにつれ、情報の質は向上し、体系的な諜報活動へと進化していったという。