「人生は実験なんだ」と考える

昔、『受験は要領』(ゴマブックス)という本に、理科の実験の授業なんかに出る必要はない、そんな時間があるなら昼寝をするか、数学の答えでも覚えていろ、と書きました。

このときは、ケチョンケチョンに非難されたのですが、今も私の意見は変わりません。日本の理科の実験室で、実験精神がつくとはとても思えません。

なぜかというと、子どもにケガをさせないようにと、決められた手順で実験をやらせるだけだからです。

大学ですらそういうことが多いそうです。つまり実験する前から答えがわかっているわけで、これでは実験とは言えません。お料理教室と同じです。

「このやり方で成績が上がらないなら、このやり方で試してみよう」という経験こそが実験です。AでダメならB、BでダメならCとやるのが、実験なのです。

これができるなら、実験室である必要もありません。

せんじ詰めれば、生きることそのものが実験です。勉強のできない子が受験テクニックをあれこれ試してみたり、モテない人がモテるためにあれこれ試すのも実験です。実験室でやることだけが実験だと思っているのは、学校の先生だけで十分です。

人生は実験である――。そう思うと、思い込みを捨てて、新しいチャレンジをする勇気も湧いてこないでしょうか。

たまには失敗をすることもあるでしょう。でも失敗するのは構わない。大惨事にならない失敗の仕方を学べますし、失敗した後の対処の仕方も、学べるからです。

実験と思うからこそ、失敗に対する備えができるとも言えます。

バクチと実験の区別をつけないと大やけどに

「勝つに決まっている」のは実験ではないですし、負ける心づもりもしておく必要があるのです。

投資家もそうですが、「負けるつもりがない」まま投資をするのが一番危険です。いざ負けたときに、立ち直れないほどのダメージを負うからです。

株価の下落チャートの前でうずくまる男性
写真=iStock.com/DNY59
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恋愛で大やけどするのも同じ理屈です。フラれないと信じ込んでいるからこそ、フラれて大ショックを受けるのです。

「人生は実験なんだ」と思っておけば、そうそうショックは受けません。うまくいくかもしれないし、うまくいかないかもしれない。実験と考えるなら、あえて全財産をかけるようなマネもしないで済みます。

ただし、なんでもやってみろとは言いません。バクチと実験の区別がつかないと、大やけどをします。

ユニクロの柳井会長の本にあるように、人生は「一勝九敗」です。9敗しても、負けを小さく抑えられるなら大金持ちになれるかもしれない。逆に1敗でも、負けが大きければ、バブル崩壊時のお金持ちのように、破産しかねません。

「ここで負けたらこのぐらいのダメージを負う。これならリカバリーができる」といった損得計算を忘れないでおきましょう。

リカバリーできないほどダメージを負いかねないのが博打であり、リカバリーできるものが実験です。バクチまがいと言われがちな仮想通貨のビットコインも「これぐらいなら損してもOK」と思える額で手を出すなら、実験の範囲だと思います。