「豊臣兄弟」の城・探訪記 #日本史 #大河ドラマ #城 2026/03/28 9:00 #2 #3 #4 #5 #6 #7 なぜ松永久秀は信長に降伏せず「爆死」を選んだのか…居城・信貴山城跡で見えた「平蜘蛛の茶釜」伝説の真相 PRESIDENT Online 今泉 慎一 +フォロー 古城探訪家 前ページ 1 2 3 4 5 6 7 次ページ 曲輪内は丁寧に削平されている そして切岸。雌嶽でも見られるように、自然地形を活かしたものもあれば、明らかに人工的に削ったことがわかるものも。 撮影=今泉慎一(風来堂) 縄張り図の「現在地」あたり。段曲輪の側面はほぼ自然地形か 撮影=今泉慎一(風来堂) 段曲輪間の急崖は明らかに人工。まるで壁のよう 曲輪内は丁寧に削平されており、兵の駐屯に最適。「松永屋敷」あたりには建物の礎石のような成形された巨石も見られる。 撮影=今泉慎一(風来堂) 「松永屋敷」は江戸時代作の「信貴山古城図」の記載による 撮影=今泉慎一(風来堂) 「松永屋敷」のある尾根先端の曲輪には、畝状竪堀群らしき地形も残っていた 次ページ 1 2 3 4 5 6 7 関連記事 サルでもハゲネズミでもない…外見にコンプレックスを抱える秀吉が信長に付けられた「もう一つの呼び名」 わが子が勉強しないのは「親のせい」である…「頭のいい子の親」が子供との会話の中で欠かさない4文字の言葉 「秀吉と一緒になるのがイヤ」ではない…お市の方が柴田勝家との自害を選んだ"現代人には理解できない"理由 ランキング 1位 ハーンが54歳で「あまりにあっけなく」死んだ時、妻セツは36歳で長男は10歳、第4子の娘はわずか1歳だった ランキングをもっと見る 社会 #日本史 #大河ドラマ #城