織田軍4万が信貴山へ進撃

1577(天正5)年の「信貴山城の戦い」の際、久秀軍は約8000、信長軍は4万と伝わっている。兵力差は歴然だ。劣勢を挽回するため、久秀は石山本願寺に援軍を要請。そして200人の鉄砲隊が信貴山城に派遣されたという。

鉄砲といえば火薬だ。しかも200人の鉄砲隊となると相当な量に違いない。想像は膨らむが……。

万全の構えに援軍も得たが…

久秀の最期の場面について検証する前に、信貴山城の堅城ぶりを確認しておきたい。城主のキャラクターや落城シーンに隠れてあまり知られていないが、信貴山城、実はなかなかに難攻不落の名山城だ。縄張り図の通り、信貴山城の曲輪は山頂から北東側に集中している。

まずは堀切。天守閣の真北にある「切通し」と書かれているあたりに特に密集している。

連続する堀切により尾根が波打っている
撮影=今泉慎一(風来堂)
連続する堀切により尾根が波打っている
直下に見下ろすとこの急角度
撮影=今泉慎一(風来堂)
直下に見下ろすとこの急角度
同じ堀切を堀底より
撮影=今泉慎一(風来堂)
同じ堀切を堀底より