セツは激昂すると収拾つかない性格
しかし、日々の暮らしは、そんな楽しいことばかりではない。夫婦喧嘩だって起きる。しかも常にセツの圧勝である。なにしろセツは激昂すると収拾がつかない性格なのだ。
一雄の回想には、喧嘩の果てに母が激昂して手がつけられなくなった話があちこちに出てくる。中でも最も激しかった喧嘩の種は、なんと女性がらみだった。
1901年、八雲が東京帝国大学で教壇に立っていた頃のことである。当時日本に滞在していたイギリス人教育者、エリザベス・フィリップス・ヒュースという女性が、どこで聞きつけたか、八雲の講義中の教室に断りもなく入ってきた。
もともと人嫌いの八雲である。見知らぬ闖入者にイラッとしながら授業を終え、さっさと帰ろうとした。するとヒュースがいきなり握手を求めてきた。狼狽した八雲は、本を一冊落としたまま逃げるように帰ってしまった。
これを好機と見たのがヒュースだ。落とした本を届けるという口実で八雲の自宅を訪問する。正直、このヒュースの目的がわからない。この女性、日本にはスウェーデン体操を伝えるなど教育では実績も残した人物なのだが、行動がほとんどストーカーである。いや、単に「文豪として知られる八雲先生とお近づきになりたい」という天然な人だったのか。まあ、なんにせよ一雄の文章を読むと、めちゃくちゃ不快な人であることはわかる。
ともあれ、事情をよく知らないセツはヒュースと話が弾んだのか、どういうことか、後日、ヒュースらが主催するお茶会に招かれることになってしまった。
「ヒステリーを起こし、歯を喰いしばって倒れた」
問題はここからだ。セツはそのことを八雲に伝えるのをすっかり忘れ、お茶会から帰ってきてから事後報告になってしまったのである。
当然、八雲のほうも激怒である。一雄はその出来事を、こう回想している。
(小泉一雄『父小泉八雲』小山書店、1950年)
「又あの病気です!」とあるあたり、セツはブチ切れるとついには倒れてしまうタイプだったことが窺える。しかも一雄の筆致からは、総動員体制がすでに確立していたことが垣間見える。祖母、書生、女中と、それぞれの役割分担が手慣れたもので、おそらくこの家では「ママさんが倒れる」ことへの対応マニュアルが自然と出来上がっていたのだろう。

