“売れっ子作家”として認められた八雲
八雲の著書『知られぬ日本の面影(Glimpses of Unfamiliar Japan)』は、1894年、アメリカで出版されている。当時、アメリカではジャポニスムの熱狂が最高潮にあった。そのタイミングで刊行されたことで、八雲は一躍、売れっ子作家として認められるにいたった。当時の英語圏で人気作家だった『トム・ソーヤの冒険』で知られるマーク・トウェインや『宝島』のスティーブンソンと同列に語られる存在となったのである。
八雲の最大の強みは、日本に住んでいて、日本人と結婚して、自分も日本人になった作家である。これはほかの誰にも真似できないことであった。ゆえに、この後も八雲は死去するまで年1冊ペースで著書を刊行。日本文化を知ることのできる、ほかにない作家であるとして長らく読み継がれる下地ができたのである。
しかし、それでも勤め人をやめて文筆活動に専念するほどの印税が入ったのだろうか。当時の印税は約10%。『知られぬ日本の面影(Glimpses of Unfamiliar Japan)』の2巻組で約4ドル。一冊売れると約40セントの計算だ。当時は1ドル=1円の固定相場なので、月100円の収入を得るには、毎月250部以上がコンスタントに売れていく必要がある。
当初の発行部数はわからないが、古書市場に出回っている本をみると重版がかかっていることがわかるので、ここからは、最低限、喰うには困らない程度には売れたと考えられる。
「文筆に専念」と決めるも、やたらと悩んだ
なにより『知られぬ日本の面影(Glimpses of Unfamiliar Japan)』の版元であるHoughton Mifflinとは強固な信頼関係を築いたようで、一社独占ではないが、多くの著作はHoughton Mifflinから出版されている。つまり、Houghton Mifflinから「先生、次もお願いします」という関係ができたことで八雲は「もう、教師とか新聞記者とかやって日銭稼ぎをしなくていい! 俺は自由だ‼」という心境になったのだろう。
ただ、それでも勤めを辞めてしまうのは無軌道である。文筆を生業としていると「俺は自由だ‼」と叫びたくなるのはよくわかる。日本ならば『深夜特急』の沢木耕太郎が代表的だ。
全財産をトラベラーズチェックと現金に換えて1900ドル。それを持ってユーラシアの旅へ……。いや、この時沢木耕太郎は26歳、独身。対する八雲、寿命も近づいたことを認識せざるを得ない年齢、かつ妻とその家族、さらに子供までもがいる。この状況で「俺、これからは印税で生活できそうなので会社は辞めるわ」とやってるんだから、やっぱり無軌道この上ない。
しかも、八雲は自分で勤めを辞めて文筆に専念をすることを決めておきながら、やたらと悩んでいる。1895年8月の西田に宛てた手紙には、広島県から学校教師の仕事の勧誘が来たことを記している。その月俸は150円。しかし、八雲は「その俸給は充分とは思われない」「再び官立学校へ行きたくない」とぼやいている。
