社主のイギリス人とは気が合った
とにかく八雲の中では、自分が見聞きして考えた日本をどのような形で作品に残すのか。そして、残された時間でどれだけのものを書くことができるか焦っていた。
その、最低限の書く時間をつくるのに、神戸での仕事は最適だった。なにより、新しい勤め先の社主であるイギリス人のロバート・ヤングとは気が合った。西田千太郎に送った書簡でも、このように記している。
彼は私を兄弟のように待遇し、彼の妻君は私の妻を可愛がってくれますので、私どもは今日まで極めて愉快に感じています。
(『小泉八雲全集』第11巻、第一書房、1931年)
(『小泉八雲全集』第11巻、第一書房、1931年)
ただし、この手紙は熊本から神戸に移って間もない1894年10月に送ったものである。これを受けとった西田は「またか」と思ったのではなかろうか。というのも、八雲は熊本に移った際も、最初は同僚の素晴らしさとか、生徒の熱心さを喜ぶような手紙を送っていたのに、次第に雲行きが怪しくなっていったのだ。
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