中国で作られた「宝物」だった
発見された遺物は、龍泉窯や同安窯と呼ばれる中国の窯跡で造られた焼き物がそのほとんどです。当時の高級品で、現在でも各地のお寺や神社などで宝物として守られているような品々。
このような鎌倉時代の輸入陶磁器類は、鎌倉幕府と関係の深い金沢文庫の博物館などでも見ることができます。三代将軍源実朝も直接中国から輸入したいと、鎌倉の浜で貿易船を造らせました。まあ、この船が遠浅のため出港できずに朽ち果てたことは有名な話です。
さて、倉木崎の出土品の特徴は、バリエーションが少ないことです。焼き物が同じ窯跡でつくられているだけでなく、ほぼ同一のお皿などもあります。カケラもあるにはありますが、完形が多い。器種としては、壺や甕などよりは、お皿が多い。また、陶磁器以外の金属性の遺物や木材がない。これらの特徴から、倉木崎の遺跡は生活の痕跡ではないのは明らかです。
これらは中国を出発し博多に向かっていた船に積まれていた遺物であると想像できます。当時の日本では、南や西からやってきた貿易船は博多へ向かいました。博多の大博通り沿いの博多遺跡群――中国人商人が住んでいた、今でいうチャイナタウンです――からは、大量の貿易陶磁が見つかっています。
そして、倉木崎海底遺跡の出土品と博多遺跡群の出土品を比べてみると、同じような遺物が両方で確認されました。
ちょっと余談ですが、数年前に韓国の済州島の沖の水中遺跡からたくさんの陶磁器などが発見・発掘されました。この遺跡の出土品、倉木崎の遺物と瓜二つ。並べてみると、どっちがどっちかわからないほどです。おそらく、済州島の沈没船も日本(博多)へ向かう途中だった船だと考えられます。
沈没船の痕跡が見当たらない
ここで問題。陶磁器は大量に見つかりましたが、さて、ここには沈没船があったのでしょうか?
船があったのなら、遺跡のどこかに船の一部である鉄釘や、船員が使った道具などがあるはずです。ところが、ここでは陶磁器しか発見されていません。これはなぜでしょうか?
船が沈んでいないとしたら、なぜこんなに大量の陶磁器が海の中にあるのでしょうか。当時の発掘調査では、その謎については深く追求することはありませんでした。
時はちょっぴり流れ、2014年。文化庁の水中遺跡調査検討委員会の委託を受けた九州国立博物館が、改めて倉木崎で調査を実施することになりました。

