「湖に沈んだ鳥居」が姿を現す時期も
水没からゆうに100年は過ぎていますが、ここに住んでいる人々は沈んだ村のことを忘れてはいません。
桧原湖は水位変動が大きく、時折枯れた木々が水面に顔を出し、そこがかつて森林であったことを連想させます。水没した木々が魚の絶好の住処となるので、釣り客が多く集まります。潜るとルアーとか釣り針などが結構たくさん落ちています。ひっかけてなくしてしまう人が多いようです。皆さんも、釣りの際には気をつけましょう。
桧原湖北岸にある大山祇神社からは、水没した宿場町の名残をじかに感じることができます。神社の前に広がる湖面を眺めると、土台の部分が水没した鳥居がたたずんでいます。鳥居は岸のすぐそばに1基、100メートルほど沖にもう1基あります。
沖の鳥居は夏の水位が高い時期は完全に沈んでいますが、ボートで近づくとうっすらと鳥居の上部が見えます。おすすめは、冬の水位が低い時期。鳥居が水面に頭を出します。「沈んだ鳥居」だけでパワースポットとして観光名所として成り立ちそうです。
古地図が示す「かつての宿場町」
桧原湖は、鳥居を見るだけなら比較的安全に潜れる場所といえます。
残念ながら近くにダイビングショップがないのですが、熟練者ならタンクだけ借りてきて(もしくはマイタンクで)潜ってみることができます。透明度は決して高くないです。かなり濁ってます。ですが、逆にその濁った感じが神秘的な雰囲気を醸し出しています。
薄暗くモヤモヤした中を進んでいくと、突然目の前にふわっと鳥居が目に飛び込んでくる。水中の鳥居ならではの経験です。
ただ実のところ、どちらも明治時代にあった鳥居ではなく、40年ほど前に建てられたものだそうです(残念?)。とはいえ、もともと鳥居があった場所のそばに建てられたもの。2本の鳥居の間には切り株が整然と並び、昔の参道(並木道)が残っています。
村の中心から少し離れた小高い丘に建てられた神社、そこに上っていくための道。その道が残っているわけです。つまり、2基の鳥居の先には村が沈んでいます。水没する前の桧原宿の様子は、残された古地図や地割図などから想像することができます。地割図には、畑、家屋、水路、お寺などが描かれています(図表1)。
北東方向から西へと会津米沢街道が続いていますが、大山祇神社から南下する参道が交差する場所が、宿場町の中心だったようです。現地で湖を眺める際には、この地図を思い出してみてください。町の人に話を聞くと、「ここがワシのひい爺さんやらが住んでいた家だ」と教えてくれます。


