労働が辛くて苦しいと感じる真の原因とは
この稿では、近代にかけて労働に対してポジティブな意味が付与されてきた歴史を概観する一方で、様々なタイプの労働の「辛さ」について話をしてきました。さらに現代では、事あるごとに「仕事で何を成し遂げたい?」と尋ねられ、働くことを前向きに楽しまなければいけないようなプレッシャーにもさらされます。
このような経緯を学ぶと、人類は、元来は「辛く卑しい」ものだった労働を何とかしてポジティブなものだと信じ込もうとしてきたのだと思えてきます。とすると、労働という追手の正体は、働くことに対する人類の様々な期待の裏返しなのかもしれません。人類は、本質的には辛いはずの労働に、「宗教的意義」や「自己実現」といった様々な期待をどんどんと上乗せしてきたのです。
「労働の本来的な辛さ」と「人類が上乗せしてきた期待」の間で私たちは引き裂かれ、その重圧が追手となって私たちを追い詰めているのではないでしょうか。
このように説明すると、「詰んでるじゃん!」と思ってしまうかもしれません。しかし、労働に関する困難がこのような構造になっているという気付きは、一方で希望にもつながります。なぜならそれは、働く辛さは、「上司のせい」「会社のせい」「自分のせい」……という「特定の誰かのせい」では決してないということをも意味しているからです。
「問題の本質は構造的なものかもしれない」という視点をもっていれば、自分の仕事について、条件さえ変われば状況が好転する問題と、構造的な問題とを分けて考えることができるようになります。このことは、仕事やキャリアに関する悩みの堂々巡りから一歩抜け出すヒントになるかもしれません。



