戦争映画からお子様ランチが定番コース

大休さんは、家族サービスにかこつけて、高市氏を連れ出すことで、自分が好きな戦争映画を見たかったのだろう。当時は、土曜日も出勤が当たり前だったので、休みは日曜日だけ。近くに映画館がないために、高市氏は地元の橿原かしはら市から近鉄に乗って、大阪の難波まで遊びに出た。

映画を見たあとは、近鉄百貨店のレストランでお子様ランチを食べて帰るコースが定番だった。映画で泣き崩れても、レストランで食事をしているうちに、いつの間にか笑顔に戻っていった。

父の大休さんは、料理も上手だった。母の和子さんが残業の時などは、もっぱら腕を振るってくれた。高市家では家族みんなでともに夕食を取るという決まりがあり、両親のどちらかが遅い時でも揃うのを待って、必ず一緒に食事を取った。

高市氏が振り返って語る。

「何がおいしかったかというと、あんまり記憶にないですが、時間がない時はすき焼きや鍋物。あとは、肉じゃがや野菜炒め。なんでもおいしくつくってくれました。父に比べると、母は料理下手で、言ったら罰が当たりますが、おいしくないうえに時間がかかって、品数が少ないんです。私もそれを継いでしまって、要領が悪いんです」

国家公務員の道を捨て、松下政経塾へ

高市氏が神戸大学経営学部を卒業し、松下政経塾へと入塾したのも大休さんの影響があったからだという。

松下政経塾
松下政経塾(写真=星組背番号10/PD-self/Wikimedia Commons

高市氏は当時、国家公務員の試験を受けて筆記試験までは通っていた。しかし、土壇場になって「松下政経塾を受ける」と言い出した。そんな気持ちになった背景には、子供の頃から、父の大休さんと食卓で交わしてきた会話の影響があった。

トヨタグループに勤めていた父は、トヨタの取り組んでいる品質管理に始まり、株価の見方、景気、企業のコスト削減の難しさ、アジアやアメリカ、ヨーロッパ、ロシアなどとの貿易事情など、子供向けではない話も、ごく当然のこととして話してくれた。

知らないことばかりだったが、一人前に扱ってもらえることがうれしかった高市氏は、父の話に必死に耳を傾けた。

今思えば、それほど高度な話でもないが、夜逃げした経営者の話や、破産手続きの仕方など、時折ユーモアを交えながら、大休さんは、面白おかしく話してくれた。だからこそ勉強嫌いだった高市氏は、自然に経営に興味を持つようになっていった。神戸大学の経営学部を進学先に選んだのも、父の影響が多少なりともあったのかもしれない。