日本で初めて女性の首相となった高市早苗氏はどんな人か。別冊宝島編集部『高市早苗 その人生と名言』(宝島社)より、ノンフィクション作家・大下英治さんの寄稿を紹介する――。
参院本会議で参政党の神谷宗幣代表の代表質問に答弁する高市早苗首相=2026年2月26日
写真提供=共同通信社
参院本会議で参政党の神谷宗幣代表の代表質問に答弁する高市早苗首相=2026年2月26日

父・大休さんにとって自慢の一人娘

高市早苗氏は、1961年3月7日、奈良県内で、サラリーマンの父の大休だいきゅうさんと、奈良県警に勤める母の和子さんの間に、長女として生まれている。

ちなみに、高市氏が7歳の時には、弟で、のちに秘書として長年高市を支える知嗣ともつぐ氏が生まれている。

私は高市氏が国会議員になって以来、政局の節目節目にインタビューを行い、彼女の人生についても話を聞いてきたが、高市氏の人格形成に大きな影響を与えた人物といえば、やはり、父の大休さんと母の和子さんの2人である。

父の大休さんは、長女である高市氏のことを誰よりも溺愛し、育てたといわれている。弟の知嗣氏に対しては厳しかったようだが、一人娘は、自慢の存在だったらしく、かわいくてならなかったのだ。

営業マンの教え「まず褒めて話をしろ」

大休さんは、トヨタ系列の機械メーカーのサラリーマンだった。西日本全土を統括する大阪の営業所に勤めていたため、夜中であろうが、休みの日であろうが、仕事の取引先でひとたびトラブルがあると直ちに駆けつけなければいけなかった。真夜中に自ら車を運転して「島根県まで行ってくる」と言い残して、飛び出していったこともあった。

高市氏は、子供ながらに仕事熱心な大休さんの様子を見て、たびたび思っていた。

〈お父さんは本当に責任感が強いんだな〉

そう思い、父のことを誇りに思った。

父はエンジニアではなく営業職だったが、取引先のことを何よりも大切にしていた。そして営業マンだけあって、人当たりも非常によかった。

「相手のことを認めながら、まず褒めて話をしろ」

それが父の口癖で、のちに高市氏は政治家になってからも、たびたび諭すようにアドバイスをされたという。