「ごめんけど、手を繋ぐことだけはできない」
2022年秋。車椅子やつかまるところがないと満足に歩けなくなってしまった85歳の母親は、
「手を繋いでくれんかね?」
と頻繁に皐月さんに声をかけてくるようになった。
しかし皐月さんはそれができなかった。
「袖をつかませるとか、腕に触るくらいなら大丈夫なのですが、『手を繋ぐ』ということがどうしても無理なのです。たぶん、子どもの頃に受けた母からの仕打ちのせいだと思います」
その“仕打ち”とは、こんな記憶だ。皐月さんが5歳くらいの時のこと。保育園からの帰り道、公園の脇を通り過ぎる際に、「お母さんちょっと遊んでもいい?」と言うと、母親は「早くしなさい!」と嫌そうに答えた。
母親は公園には入らず、いつも入り口のところから、イライラした様子で見ている。
ブランコや滑り台で一通り遊ぶと、皐月さんは慌てて母親の元へ戻ってくる。
すると母親は、一人先に歩き出してしまう。
「待って〜!」
母親に追いつこうと懸命に走るが、皐月さんは転倒。膝を擦りむいて泣き出してしまう。
「お母さ〜ん!」
しかし母親は、振り返りもせず
「甘えなさんな!」
と言って角を曲がり、姿が見えなくなった。
「4〜5歳の子どもです。『痛かったね』の一言くらいあってもよかったと思います。そんな母ですから、当然手を繋いでくれた事もありませんでした。物心ついた時からの母のイメージは、『怖い』の一言です。常に怒っているか急かす。そんな感じでした。だから母が『手を繋いでほしい』と言った時に、不意に過去の記憶が蘇って、拒絶してしまったのだと思います」
手を繋ぐことが、「トラウマ」になってしまったのだ。
「手を繋いでくれんかね?」
と母親に言われた皐月さんは、
「ごめんけど、それだけはできない」
と断り、過去の話をした。すると、
「そんなことがあったのか、覚えてない」
と母親。
皐月さんは、袖や腕に掴まらせて手すりまで誘導し、自分で歩かせるようにした。
「あの頃、手を繋いでくれない母への憎悪を、私は心の中に封じ込めて生きてきたのだと思います。でもふとしたはずみに出てきた小さなエピソードが、大人になった私を時折苦しめます」
筆者は、自分の親が毒親だと気づく瞬間は、人生で4回あると考えている。1回目は親元を離れて自立した時。2回目は結婚した時。3回目は出産して親になった時。4回目は親を介護する時だ。
皐月さんは出産後、幼い頃のつらい記憶が蘇り、子育てがつらくてつらくてたまらない時期があったという。おそらく皐月さんは、自分の子育てと母親の子育て、自分の子どもと自分が子どもだった時を比較し、母親が「毒親だった」と認識し、耐えられなくなったのだろう。
「でも反面教師で、自分の子どもにはたくさん愛情を注ぐことができました。子の年齢が、私が自立した歳と同じになったせいか、つきものが落ちたようにうつ病から解放されましたが、私を長年苦しめていたのは、母の呪縛だったのだと思います。今はようやく、『哀れな人』という目で見れるようになりました」

