30年前の悪夢

結果、自民党の239議席に対して、新進党は156議席にとどまった。実は選挙前より4議席減らしただけだったのだが、「単独過半数も夢ではない」と事前に散々期待を高めただけに、敗北感は強烈だった。

今から考えると、付け焼刃の「選挙互助会」としては、実は、上出来の結果と言ってよかったのだが、新進党の内部には敗北感が漂い、独断的に選挙戦術を主導した小沢氏への批判も出て、新進党は一年後に崩壊した。

当時の新進党周辺では、公明党を支援する創価学会が十分に票を出せなかったのではないか、比例優先だったので選挙区での支援が足りなかったのではないか、といった見方が有力だった。

だが、取材した実感から言えば、それに加えて、連合傘下の労働組合の動きが低調だったこと(労組出身で旧民社党の委員長もつとめた米沢隆氏までもが落選した)や、同時期に鳩山由紀夫氏や菅直人氏が立ち上げた民主党に無党派層の支持を奪われたことも大きな要因だった。

しかし、小沢氏への批判とともに、公明党・創価学会が本気で他党の候補を支援したのか疑う声も相次いだ。それが、現在の不信感にもつながっている。

公明党が小選挙区から撤退すれば創価学会は比例選挙に専念して、選挙区の候補の支援に力が入らないのではないか。自民党との26年の協力関係をすっぱり切り捨てることはできないのではないか。

疑心暗鬼というよりも、拭いきれない不安材料として、旧立憲側の候補に重くのしかかっている。公明党出身の候補を比例の上位で処遇すると、他党出身の小選挙区への支援がおろそかになるのではないか、かつて新進党を主導した小沢氏も、周辺にそんな懸念を漏らしているほどだ。

国会議事堂
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「裏切者」と批判を浴びた高市首相

30年前の因縁話には、もう一人主要人物が登場する。

19日の記者会見で、高市首相は「高市続投か、そうでなければ、野田総理なのか、斉藤総理なのか、別の方なのか、国民の皆様に内閣総理大臣を選んでいただく」と大見得を切ったが、その高市氏も野田、斉藤両氏とともに新進党の選挙を戦っていた。

二人と同じ93年の衆院選で旧奈良1区から無所属でトップ当選した高市氏は、細川護熙連立政権に参加したあと96年の選挙では新進党から立候補し、奈良1区を勝ち抜いた。ところが、当選からわずか2カ月後に新進党を離党して自民党に移ったことから、支援者からは「裏切者」と厳しい批判を浴びた。特に熱心に高市氏を応援した創価学会員の怒りは大きかったという。

その後、自公連立の時代になっても、奈良1区では選挙に勝てなくなり、郵政選挙で2区に鞍替えした背景にはこうした事情もあったとされる。