一つの選挙区に公明党の基礎票、つまり支持母体の創価学会票は1万票から2万票あると言われている。仮にそれがそっくり自民党から中道改革連合に移れば、前回132議席だった自民党の小選挙区の議席は、半減するという試算もある。1選挙区で5000票ひっくり返っただけで24~30議席、自民党が議席を失うとも言われている。

公明票が一定程度動くだけで、選挙情勢が激変することは確かだ。問題は、そんな理屈通りに投票行動をコントロールすることなどできるのだろうか、ということだ。26年も自民党を応援してきた支持者たちは与党としての利点やうま味も覚えている。自民党との貸し借りも義理人情もあるだろう。

実は、固い公明票といっても、そう簡単に動かないことは過去実証されたこともある。

新党「中道改革連合」の結党大会で、気勢を上げる野田佳彦共同代表(左)と斉藤鉄夫共同代表=2026年1月22日、国会
写真提供=共同通信社
新党「中道改革連合」の結党大会で、気勢を上げる野田佳彦共同代表(左)と斉藤鉄夫共同代表=2026年1月22日、国会

新党の命運を握る学会票

話は30年前に遡る。

1996年、小選挙区比例代表並立制で初めて行われた衆院選に、野田氏、斉藤氏の二人はともに新たに結成された新進党の候補として立候補した。

野田氏は、93年日本新党の新人候補として出馬し、旧千葉1区でトップ当選していた。斉藤氏も旧広島1区で公明党から初出馬、こちらはやはり初出馬だった自民党の岸田文雄氏に次ぐ10万票を超える得票で当選した。二人とも期待の新人議員だったのだ。

ところが、その野田氏は、小選挙区で苦杯を舐める。わずか105票の差で自民党候補に敗れたのだ。この時、野田氏は比例との重複立候補をしていなかった。小選挙区の候補は原則重複を認めないとした小沢一郎党首の方針があったためだ。全国の落選者のなかでも最少差だった。

一方の斉藤氏。今度は小選挙区では出馬せず、比例単独のみでの立候補だった。公明党の厚い支援で当選したが、公明党は比例に専念して選挙区で票を出さなかったのではないかと仲間から怨嗟の声を受けることになった。

当時、筆者が取材した新進党幹部は、選挙前には、参院選の比例票を各選挙区の新進党候補に割り振ると、半数以上の選挙区で自民党を上回ると読んでいた。

「もちろん、そんな計算通りに行くわけはないが、比例で大量得票すれば、その相乗効果で大半の選挙区で自民党と互角の勝負ができる。後は、候補者本人が頑張るだけだ」

しかし、選挙結果は、そんな楽観論を打ち砕いた。期待した相乗効果が予想通りにいかなかったことが明らかになったのだ。確かに比例全体の得票は1500万票と、前年の参院選での比例票を上回る勢いを見せたが、小選挙区では野田氏のように僅差で競り負けるところが続出したのだ。