ジャスコが入った大型施設の客を取られる

新治村の周囲には、土浦市(合併前)、水戸市、そして都市開発が進んでいたつくば市がある。1985年には筑波学園都市で「国際科学技術博覧会」が行われたこともあり、開催に合わせて茨城県の主要都市で大型施設の開発が進んだ。

1986年6月24日付の日本経済新聞によれば、「土浦市と筑波研究学園都市に挟まれた新治村は講買力の流出割合が70%前後とされていたが、昨年半ばの最新調査では80%以上とさらに高まっている」という危機的な状況にあったのだ。

当時、新治村も含めた土浦周辺の消費者を虜にしていたのが、1985年に営業開始したつくば市にあるショッピングセンター「クレオ」だった。

茨城県つくば市吾妻一丁目にある、つくばクレオスクエア。全館休館後のクレオの様子。
茨城県つくば市にあるつくばクレオスクエア(当時)。クレオの後継施設。現在は運営会社が変わり「トナリエつくばスクエア」となった。2018年2月2日撮影。(写真=Miyuki Meinaka/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons

1988年1月13日付の日経新聞には「西武百貨店、スーパーのジャスコと30の専門店が入居、都会的センスで人気を集め、年間売り上げは約250億円規模になっている。『車での買い物は、つくば市の方が便利』と土浦市内の住民も、つくば市側へ流出するほど」と大型商標施設による消費流出の影響が報じられている。

そんな小さな村の消費流出を食い止めようとした地元商店主たちの協同組合が開発したのが、さん・あぴおである。土浦北インターチェンジの近くに建設され、核店舗のスーパー長崎屋と約40店舗の地元専門店が出店した。

全国の商店主が奮闘していた

さん・あぴおと同じような地元主導型SCは、1970年頃からつくられ始めた。その多くは、地元への大型チェーン店の進出や、他地域への買い物客の流出を危惧したことから計画されたものだった。

大手スーパーや不動産デベロッパーなどによる計画的なショッピングセンターが出現し、自然発生的な商店街に脅威を与えていたのだ。ショッピングセンターの建設に強く反対する商店主もいたが、消費者はより効率的に買い物ができる大型店を求めていたのも事実であった。

地元主導型SCは地元商店だけで構成するケースもあったものの、多くは核店舗として大手スーパーが誘致された。大手スーパーにとっても、地元商店主とタッグを組む地元主導型SCは好都合であった。当時は大規模小売店法の抑制により、単独での出店が厳しくなっていたからだ。

地元主導型SCは、消費者のニーズ、地元商店の期待、大手スーパーの都合が重なり、さらに高度化資金という国の融資も利用できる仕組みだった。1970年頃〜1990年代にかけて盛んに建設され、全国各地で数百施設に及んだ。

だが、地元商店主らは単独の店舗経営の経験は豊富でも、ショッピングセンターの統一的な運営やテナント構成のノウハウはない。そのため、苦戦する地元主導型SCが散見された。

1977年2月の時点で、日本ショッピングセンター協会の発行する雑誌では「一部のケースを除いては、地元側がSCに対して基本的な考え方もマスタープランも持っていない」「形だけはSCのかっこうをしているんだけれども、機能的にSCとしての機能を全然果たしていない」と指摘されている。(『ショッピングセンター』1977年2月 P.32〜33)