「タニマチ」という日本独自の美学
「タニマチ」という言葉は、大阪の谷町に由来する。
明治時代、この界隈に住む医者たちが相撲取りを無料で診察したり、小遣いを渡したりしたことから、力士のパトロンを「タニマチ」と呼ぶようになった。
タニマチには独特の美学がある。
まず、「見返りを求めない」。贔屓の力士が出世しようが幕下に落ちようが、支援し続ける。
次に、「粋」を重んじる。「俺がスポンサーだ」と吹聴するのは野暮。人知れず支え、本人も周囲も気づかないうちに面倒を見る。
そして、「関係性」を大切にする。金銭を超えた絆――酒を酌み交わし、悩みを聞き、時には叱咤激励する。疑似的な「親父」のような存在だ。
この心理は、商店街のおっちゃんが甲子園で声を枯らす姿と本質的に同じである。
タニマチ精神の現代的な体現者として、CoCo壱番屋創業者の宗次徳二氏を挙げたい。
宗次氏は貧しい幼少期にクラシック音楽、特にヴァイオリンに魅了された。カレーチェーンで成功を収めた後、私財を投じて名古屋に「宗次ホール」を建設。そして、ストラディバリウスをはじめとする名器約30挺を保有する「宗次コレクション」を通じて、若手演奏家への楽器貸与を続けている。
ストラディバリウスは、年代と状態にもよるが10億円から30億円は下らない。どれほど才能があっても、このような名器を手にする機会は極めて限られる。楽器がなければコンクールで勝てない。コンクールで勝てなければキャリアが開けない。そんな悪循環の中で、「この楽器ではコンクールの本選に残れない。助けてください」という若い演奏家のSOSが宗次氏のもとに届く。
宗次氏は言う。彼が求めているのは見返りではない。自分が支援した演奏家が世界の舞台で輝く――その物語の一部になることだ。
この流れを組織的に推進する企業もある。
ヴァイオリン販売会社のatsumari(アツマリ)は、ストラディバリウスやニコロ・アマティなどの名器を販売するだけでなく、購入した個人・企業と実力ある若手ヴァイオリニストをマッチングし、ヴァイオリン文化を普及させる活動と共に楽器の貸与を仲介している。
「鳥のように美しく音色を奏で、自由に成長し羽ばたいてゆく」――そんな理念のもと、富裕層の「タニマチになりたい」という欲求と、若手演奏家の「名器で演奏したい」という欲求を結びつけているのだ。
これは単なるビジネスではない。「物語」をプロデュースしているのである。
「富裕層版パパ活」なのか
「持てる者が持たざる者に与える」
その構造だけを見ると、ちまたで話題の「パパ活」に近しいようにも見える。
しかしその表層の類似性の下には、決定的な断層が横たわっている。
パパ活における「応援」とは、精巧に設計された等価交換システムだ。
高級ディナー、ブランドバッグ、タワーマンションの一室――これらはすべて「時間」「容姿」「若さ」という商品に対する対価だ。
与える側は、与えた分だけ「何か」を受け取る。
受け取る側も、受け取った分だけ「何か」を差し出す。
そこには暗黙の価格表が存在し、両者はその相場を熟知している。
一方、真の支援者は見返りを求めない。
宗次徳二氏がストラディバリウスを貸与した若手ヴァイオリニストと毎週会食するだろうか。答えは明白に「NO」である。
パパ活が定期的な会食、旅行、物理的接触が前提となるのに対して、タニマチは、年に数回のコンサート鑑賞、あるいは数年に一度の表敬訪問程度で十分とする。支援の継続に、肉体的な接近を必要としないのである。
実際、宗次氏は名古屋にいながら、世界中で演奏する若手を支援している。男性ヴァイオリニストと女性ヴァイオリニストとを区別することもない。
本質的には、商店街のおっちゃんと同じだ。彼らが見ているのは「才能」であり「可能性」であり「物語」である。そこに性別という変数は存在しない。

