「死ぬか、働くか」ではない3つ目の選択肢

現在灰谷さんは、障害年金をもらいながら、アルバイトをして生活している。

「私は保護課の担当者のアドバイス通り、親からの援助を断りました。主治医に勧められた障害年金の申請が通り、遡及分まで支払われたことで、経済的にも精神的にも余裕ができたからです。何より、親に負担をかけているという心苦しさから解放されたことで、病状は目に見えて改善しました」

約3年引きこもっていていた灰谷さんのアパートを訪れた家族は、たった一度、母親だけだった。灰谷さんが高校生くらいの頃からネットワークビジネスにハマっていた母親は、東京で開催される幹部会のついでに訪れた。家族からの連絡を無視していた灰谷さんは、アポなしで現れた母親に「会えません。帰ってください」と伝えると、母親は、「時間をかけて自分に合った仕事を探せばいいんだから」と優しく言って去っていった。

「この時の母からは、あくまで私が失業していることを、職場との相性の問題とか、よくある人間関係の悩みとか、そういう普遍的な問題だと思っているのだな、ということがわかり、私は埋めがたい溝を感じました。長年にわたる集団からの排除や、不適応の積み重ねがとうとう限界となった私の状態が、母から見ると『一時的に元気を失っているだけ』『元気になれば再び社会人としてやっていける」という認識になることに、打ちのめされる思いがしたのです」

窓から外を見ている女性
写真=iStock.com/iiievgeniy
※写真はイメージです

「努力不足」や「しつけ」の問題とされがちだった「発達障害」という概念が日本で広まったのは、2005年4月の「発達障害者支援法」施行以降だと言われている。そのため、灰谷さんの両親や姉たち、さらには灰谷さん自身がそれを疑うことは難しいことだっただろう。だが、もしかしたら両親は、「親に負担をかけている」という心苦しさを感じる灰谷さんと同様に、発達障害のある灰谷さんを持て余していた自分たちに後めたさを感じていて、灰谷さんの生活援助をすることで、親としての責務は果たせていると思おうとしていたのかもしれない。

体調が回復し、短期のアルバイトを始め、長期のアルバイトに移り、早7年目に入った。

「今のところ、私は生活保護を受けずに何とかやれています。けれど、切羽詰まっても生活保護という選択肢があるのだということ、そして、相談すれば生きていく方法を一緒に考えてくれる人がいることは、私が生きていく上でギリギリの支えになっています」

特に女性で発達障害のある人は、周囲に理解されがいため、生きづらさを抱えているケースが少なくない。その生きづらさが積もり積もると、二次障害として、抑うつ気分、不安、パニック発作などから始まり、うつ病や依存症などを発症してしまう。

灰谷さんは、両親や姉たちから“普通”を強要され、本来なら最も安心してリラックスできる場所である家庭で緊張状態が続き、自己肯定感を削がれていった。そして社会人となり、特性上、最も苦手とする“空気を読んで”“女性らしい気配り”を求める会社に入ってしまったことで、さらに自己肯定感をすり減らしていく。

度重なるブラック企業への転職で疲弊した灰谷さんは、ようやく見つけたホワイトな会社でも、“普通”を演じ続けるあまり、ストレスや疲労が蓄積。自己肯定感が枯渇していた灰谷さんは、「自分なんかに褒められるような部分はない。ダメすぎて可哀想だから気を使って褒めてくれているだけ」と自分で自分を責め、窮地に追いやっていった。

「工場もたたんで、老後に入っている親の脛を齧るどころか、もっとひどい、生き血をすするような私なんて、生きている価値がない。子どもがいるわけでもなく、仕事をしているわけでもない、ただの“ごく潰し”は『早く死ななきゃ』と思っていました。発達センターや保護課の担当さんに励まされなかったら、今頃死んでいたかもしれません」

灰谷さんは、生後間もなく脳性麻痺により手足が不自由となったという東京大学先端科学技術研究センター准教授・熊谷晋一郎氏の言葉を引用して、こう続ける。

「熊谷氏は、『自立とは依存先を増やすこと』と言っていますが、それは障害者に限らず、健常者にとっても同じだと思います。不安定な現実の中で、実際に制度を利用するかどうかにかかわらず、『いざとなったら頼りにできる場所、制度』が複数あることで、人は安心して生活を営めるのではないでしょうか。生活保護はその中の1つであると思います。『死ぬか、働くか』の2択ではなく、『生活保護制度があるから、すぐに働かなくても一旦休んで回復していい』という3つ目の選択肢が持てるのだと思います」

本連載でこれまで3人の生活保護経験者の事例を紹介してきたが、今回の灰谷さんは、生活保護は利用していない。それでも、前回までの事例と同様、生活保護の存在に救われ、一度は詰みかけた人生の「再スタート」が切れた。

「生活保護」は、利用したことがない人にとっては、自分とは無関係の遠い世界のもののように感じられる。筆者も、一度利用したら二度と戻れないのではないかという恐怖を感じていた。しかし実際に利用し、卒業した人は存在する。自分とは無関係の遠い世界のもののように感じるのは、その実態を捉え切れていないからに他ならない。

賃金は上がらず、物価が異常に高騰する昨今、生活が困窮する人の増加が予想される。

生活保護とはどんなものなのか。どんな人が利用し、どんな生活をして、どんな人が卒業し、再び社会に戻っていくのか。

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