お金がない。自由もない20代
現在、関東地方在住の月安花織さん(仮名・50代)は、音大卒業が見えてきたとき、就職活動を始める前に健康診断を受けた。すると、「尿蛋白が基準値の倍以上」と出たため再検査を経て通院加療となり、就活どころではなくなってしまった。その上、教員採用試験を受けたものの、落ちてしまう。
そのため卒業後は、大学時代の知人が立ち上げたカラオケボックスを手伝うことになり、そのまま関西に残った。
ところがそのカラオケボックスでは、他にアルバイトはいたが、従業員は月安さん一人で、休憩なしで10時間働かされた結果、1年ほどで体調を崩してしまう。母親は「私のところに帰ってきなさい」と言ったが、月安さんは父親の家に帰ることにした。
「私が小学校高学年くらいの頃から両親の仲が悪く、同じ空間にいることも避け合っていて、私が教育実習で帰省した時には家庭内別居状態。それでも母は、『娘たちが結婚するときに、片親だと体裁が悪いから』と言っていましたが、私が大学5年の時、母に彼氏ができた途端、父をボストンバッグ1つで追い出して、さっさと離婚しました」
実は父親も月安さんが大学進学のために家を出たあたりから不倫していたが、まだ籍は入れていなかった。
父親と同居を始めた月安さんは、「抑鬱状態」のため何もやる気が起きず、毎日ひたすらぼーっとテレビを見て過ごしていた。
「今でこそ無謀だとわかりますが、当時の私は『薬を飲まないと何もできない人生は嫌だ』と言って、精神科から紹介状をもらって帰郷したのに通院をやめ、自力で治す道を選びました。父はそんな私の気持ちを尊重して、『1日1回は外に出ること』を約束させ、『家にいるなら家事をしてくれ』と言いつつも、1週間に1回は弁当屋さんに弁当を買いに行くだけで許してくれました」
月安さんは、抑鬱状態が少しよくなると、保育士養成講座を受け始めたが、最後の試験の日にうつ症状が悪化し、外に出られなくなってしまった。その後、また少しよくなったため、郵便局の外務の試験を受けたがこれも不合格。簿記の勉強をし始めたが、やはり試験日にうつ症状が悪化して身動きが取れなくなり、ボイコットしてしまった。
最終的に映像制作会社の事務員の仕事に就くと、半年後には一人暮らしを始めた。月安さんは、奨学金を高校・大学と借りており、毎月の返済があった(音大卒業までの学費は計1000万円近く)。事務員の仕事の収入は手取りで12万円ほど。返済と家賃を払うと手元に残るのは5万円程度で、ほとんどが食費や光熱費に消えた。
そんなある時、勤め先での雑談中に出会い系サイトの話が出た。興味を持った月安さんが登録してみたところ、東京都内に住む6歳年上の男性から連絡が来て、時々連絡し合うように。
「お金がないなら夜の仕事でも何でもすれば」
その男性に、「お金がない。自由もない」とぼやくと、男性はこう言った。
「お金がないなら夜の仕事でも何でもすればいいじゃん」
びっくりした月安さんが、「夜の仕事ができるほど、私は美人でもなければ、才能があるわけでもない」と否定すると、
「自分にはできないとか、勝手に思い込んでない? 才能があるとかないとか、周りは気にしないよ」
と男性が言う。
「そんなもんか」と思った月安さんは、昼間は事務員の仕事を続けながら、夜はキャバクラで働き始める。アルコールに強かった月安さんは、20時から深夜2時までキャバクラで働いて帰宅して眠り、朝、事務員の仕事に出かけた。追加でスナックで働く日もあった。当然、体力的につらかったが、水商売だけで月計15万円以上稼ぐことができた。
月安さんは思い切って事務員とキャバクラを辞めてスナック1本にしたが、収入は月15万円を超えない。そこで昼間は漫画喫茶、夜はキャバレーに勤め先を変えたところ、20万円近く稼げるようになった。
しかし、次なる問題が発生する。

