70歳の義母はしばしば「私は老い先短いから」と口にした。九州在住のはずが、関東地方に住む次男の家族の新築の家へ突然現れた。そして、「今日からここに住む、もう命も長くないから」と上がり込んだ。寝耳の水の嫁だったが、この後、苦難が後から後から押し寄せてきた――。(前編/全2回)
ドアホンの通話ボタンを押している手元
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「ダブルケア」とは、子育てと介護が同時期に発生する状態をいう。2016年の内閣府の調査では、ダブルケア人口は約25万人。そのうち女性が約17万人。働き盛りの30〜40代が約8割だった。筆者は、2019年にダブルケアを経験し、父親を亡くしてから現在まで、100事例以上の介護者に取材を重ねてきた。その取材を通して、ダブルケアに備える方法や乗り越えるヒントを探りたい。

念願の定住・新居に義母が転がり込んできた

2007年5月。ゴールデンウィークの明けの最初の日曜日、建てたばかりの自宅のインターホンが突然鳴った。リビングで家族4人、団欒していた当時42歳(現在60歳)の多田春子さん(仮名)は、モニターを覗き込むと言葉を失った。

「お義母さん! なんで?」

画面に映っていたのは九州にいるはずの70歳の義母。その場にいた48歳の夫に視線を送ると、「来るなんて聞いていない!」と首を振る。

とりあえず玄関を開け、リビングに通すと、多田さんの12歳の長男と9歳の次男に向かって義母は言った。

「今日からお祖母ちゃんもここで一緒に暮らすで、よろしくな」

多田さんの息子たちは、「ふ〜ん、一緒に住むんだ〜」と繰り返すが、びっくりしたのは多田さんと夫だ。夫は咄嗟に「そんなこと聞いてない!」と声を上げる。

その夜、息子たちが寝静まった後、多田さん夫妻と義母とで話すことにした。

多田さんの夫は公務員。転勤が多く、結婚してからの約10年間、ずっと各地を転々としてきたが、50代目前になり、やっと転勤生活が終わった。

多田さん夫婦はようやく定住できること、自分の家が持てることを喜び、その地を多田さんの実家がある関東に決め、一戸建てを建てた。

義父母は夫婦で服飾係の自営業をしていたが、次男である夫が18歳で家を出た後、義父は行方不明になったと言う。1人になった40代の義母は、義兄家族と同居し始めたが、義兄とも義姉ともうまくいかず、1人、九州に移り住む。

義母は服飾係の会社に就職してしばらく働いていたようだが、60代で退職すると、だんだん生活が苦しくなっていった模様。そんな時、多田さん夫婦が家を建てたとの話を聞いて、一方的に「同居したい」と言ってきたわけだ。

「もちろん、『やっと定住できるのだから、しばらくは家族4人水入らずで暮らしたい』と言って断っていたんですよ。なのに、『ダメって言わないからいいと思った。自分は老い先短いからわがままを聞いてほしい。でもあなたが嫌なら同居しなくてもいい』なんて、私が悪者になるように話を持っていくんです」

しかも、義母はすでに1人で住んでいたアパートを解約する手続きをしてきていて、追い返しても戻る場所がなかった。

夫が義兄に確認すると、義兄も全く知らなかったという。

すぐに別の住むところを探すのも、高齢者の一人暮らしは受け入れ先が少ない。そのため、「とりあえずはこちらで同居して、頻繁に関西の義兄の家と行き来してもらおう。関西生まれ関西育ちの義母は関西が大好きだから、こちらの生活に一通り満足したら、関西に戻るかもしれない」という話になった。

「そういうことなら」と承知した多田さんだったが、この後、健康を蝕まれ始めたのだった。