賤ヶ岳の戦いでもスピードで優った
これは僕の想像ですが、秀吉は将兵に明確なビジョンを示したんじゃないか。要するにニンジンみたいな餌をぶら下げた。「自分たちのこれからの戦いは何を目指すのか」「その戦いに勝利したら、どういう利益が与えられるのか」ということを、武士や兵隊たちに明示したんじゃないか。
もちろん、駆け足で走り抜けるその途中で立ち寄った、秀吉の本拠地の一つ、姫路城ではおそらく蔵を開け放ち、すべての金銀、あるいは、お米、それらを分配したに違いないと想像できます。
その次の柴田勝家との「賤ヶ岳の戦い」でも秀吉は、自分の軍隊を機敏に動かすことによって、戦いに勝つ突破口を開きます。
この戦いでは、現在の滋賀県、琵琶湖の北東に、柴田勝家の軍勢と羽柴秀吉の軍勢がにらみ合いを続けていました。すると、さきほども見たように、秀吉は戦争を土木工事にしてしまい、一斉にみんなで陣城を作り始めます。敵が攻め寄せて来たら、自分たちが優勢に戦えるように、自分たちの陣地を小さなお城のような形にするべく土木工事を始める。
柴田勝家に先制攻撃させて、逆襲に成功
これは太平洋戦争のときに、例えば、硫黄島に配置された部隊が、現地に到着するや否や工事を始めて洞窟の陣地を構築したことと同じです。言ってみれば、兵隊は工事をするのが商売といわんばかりに、野戦築城をします。兵隊さんを工事に使う。
秀吉がやれば当然、柴田もそれに対抗して土木工事を行う。だから、賤ヶ岳の戦いでは、柴田軍も羽柴軍も両軍の部隊がみんな小さな陣地を構築するから、それが積み重なって、とんでもない様相を呈していきました。こうなると先に手を出した方が負けます。守る方が非常に強い。
そこで秀吉はあえて隙を作って敵が攻めてきやすいようにします。そのためにどうするかというと、自分の部隊を動かして兵をいったん引きます。滋賀から岐阜の方へ移動するのです。すると、秀吉の不在を知った柴田軍が攻め寄せる。そこで今度は急いで戦場に戻る(このときの動きは、5時間で50キロ走ったというほどの、きわめて素早い運動性能を示しています)。走って走って賤ヶ岳に帰り、柴田軍と戦いました。
「戦争を運動にした」というのがまさにそこで出てくるのです。しびれを切らした柴田軍は先に攻撃をしかけたものの逆襲に遭い、秀吉の軍隊の運動能力の前に、ついに打ち破られてしまいました。

