一枚上手だった家康には完全に敗北した

さらに秀吉は、徳川家康との「小牧・長久手の戦い」でも、まず陣地を構えてにらみ合います。家康が小牧山に陣地を築く。それから秀吉は犬山城、もしくは、楽田城がくでんじょうというところに前線基地を設けたと言われます。秀吉も家康も、例によって陣地を築きます。

そこで秀吉がやったのが、「おとり部隊」による陽動作戦ですね。

2万人のおとり部隊(実質的な指揮官は池田恒興)を作って、三河の方へその軍勢を動かします。そのおとりに家康がぱくっと食いついたところで、またしても秀吉は自分の部隊を素早く動かして、家康を捕捉して一挙に討ち取るという計画をおそらく立てたのだと思います。

ところがこのときは、家康の方が一枚上手で、秀吉のおとり部隊を全滅させてしまいます(池田とそのむこの森長可は戦死)。たぶんそこまでは秀吉は想定内。ところが、家康はこのあとすぐに兵を自陣に引き返してしまった。

家康のこの俊敏な軍事行動によって、秀吉は、家康の本隊をつかまえることができず、言ってみれば、餌だけ取られたのです。つまりこの戦いに秀吉は見事に負けてしまったということになるわけです。

「家康より自分が上」と示すために…

四番目、秀吉は、戦争を政治に置きかえた。

この小牧・長久手の戦いでは、秀吉は局地戦では家康に負けてしまいましたけれど、そのあと秀吉は、朝廷を動かしました。

それまで秀吉は、まったく朝廷と関係を持たず、自分が貴族として昇進しよう、出世しようなんてことはさらさら考えていませんでした。けれども家康に局地戦で敗れたことを踏まえて、「よしそれじゃ、家康が頭を下げやすいような状況を作ればいいじゃないか」と考え、秀吉は、朝廷の中で関白という地位を獲得するわけです。

自分が関白になることによって、家康には大納言という官職を与える。これの意味するところは、「秀吉と家康は朝廷の序列においては、同じ貴族である」ということです。

だから、そこには上下関係はあるわけですね。上司と部下の関係はあるけれど、主従の関係はない。そういう形で、自分たちの位置関係を明らかにしながらも、主従の関係は曖昧なままにしておくというやり方を用いる。