「未踏プロジェクト」が開いた扉

本科から専攻科へ進んだ2006年、井上さんは「未踏ソフトウェア創造事業」(現・未踏事業)に応募した。経産省が支援して独立行政法人情報処理推進機構(IPA)が主催する人材発掘・育成プログラムで、斬新なソフトウェアを生みだす若手エンジニアを選抜し、プロジェクトごとに資金提供と指導がある。毎年10~20人程度が採択され、約1年かけてソフトウェアを開発し、優秀者は「スーパークリエータ」に認定される。プロコンでの活躍を見た大学教授が、井上さんに応募をすすめたのだ。

井上さんの提案「誰かを感じるウェブコミュニケーション――ブラウジングコミュニケータ『Antwave』の開発」は2006年度上期に採択され、「スーパークリエータ」にも認定された。

「東京に呼ばれて、全国の優秀な人材や業界の有名人が集まるブースト会議に参加しました。ソフトイーサの登大遊さんにおもしろがられて、発表後にいきなりクルマで筑波大に連れていかれました(笑)」

未踏プロジェクトへの参加で、井上さんの人脈は広がった。アイデアと技術力さえあれば、年齢や学歴にかかわらず、トッププレイヤーのコミュニティに仲間入りできる。“シリコンバレー流のつながり”が重要であることを学んだ。

ミクシィ笠原社長への直談判

未踏のネットワークでミクシィの笠原健治社長とも出会った。

笠原健治
写真=共同通信社
ミクシィの笠原健治社長=2007年2月7日撮影

井上さんは2008年に津山高専を卒業すると、新卒1期生としてミクシィに入社した。採用の競争倍率は約300倍を超えていたという。同社のSNSサービスは若者に大人気で、2006年9月に東京証券取引所マザーズに上場したばかりの急成長期だった。

入社翌年の春、井上さんはシリコンバレーで開催されたオラクルのMySQLカンファレンスに参加した。初めての海外だった。

「シリコンバレーの乾いた風と最先端技術に触れて感激しました。絶対ここに戻ってくるぞ! と決意したことはよく覚えています」

帰国後、シリコンバレーで働きたいという思いは日に日に強くなる。しかしミクシィを辞めての渡米はリスクが大きい。何かいい方法はないかと就業規則を読んでいると、メンタルに不調がある場合は最大で半年休める、という規定を見つけた。

井上さんは笠原社長と副社長に直談判した。

「心を壊していいですか?」