天才エンジニアの「原体験」

フルスタックエンジニア(物理)の原点は幼い頃にあった。

広島県福山市で生まれた井上さんは、ものごころがついた頃から父親の工具や機械に囲まれていた。地元のホテルで料理長を務めていた父は、利用客の経営者に見込まれてエンジニアに転身。手を動かすことが得意で、自宅にも工具をそろえていた。

父が突然亡くなったのは井上さんが3歳のとき。過労が原因と見られる心筋梗塞だった。お母さんは保険会社で働きながら井上さんと2歳下の妹を育てた。

「クラスメイトたちはゲーム機をもってるのに買ってもらえない。だから、父の道具を使って何か分解したり組み立てたり。図画工作に熱中するうちに電気や機械に詳しくなった。ただ、どうしても材料や道具の違いで大人には勝てない。小学生にはプロと同じものがつくれない物理的な限界を感じました。コンピュータに惹かれたのは、絶対的に公平な世界に見えたからです。才能と知識、努力と根性さえあれば、プロと同じものがつくれますから」

井上恭輔さん
撮影=プレジデントオンライン編集部
井上さんがコンピュータに惹かれたのは「絶対的に公平な世界に見えたから」だという

「産業スパイ疑惑」をかけられ…

初めて触ったのは、母親が会社で支給されたノートPCだった。通常は専用システムで動くのが隠しコマンドを叩くとWindows95に切り替わった。おもしろくなっていじっているうちにシステムを壊してしまった。

母が会社で修理を頼むと「ふつうの使い方じゃない」と産業スパイ疑惑をかけられ、広島の本店へ呼び出されて事情聴取を受けた。息子が壊したといくら説明しても、「小学生にこんな操作ができるはずない」と信じてもらえず、始末書を提出したという。当然、井上さんはパソコンに触ることを禁じられた。小学5年生のときだ。コンピュータの魅力に取り憑かれた井上さんは、泣く泣く家電量販店のパソコン売り場へ通うようになる。

中学1年の誕生日が近づくと、母に「20歳までの誕生日プレゼントを全部前借りするからパソコンを買ってください」と懇願。

「割引されて22万円ぐらい。うちでは誕生日プレゼントとして破格ですけど、ここから僕のパソコンライフがはじまりました」

結果からいえば、井上さんの将来を決めるほど大きな投資となった。当時、井上さんは情報工学系の大学院生から勉強を教わっていた。コンピュータについても指導を受け、英語の勉強に役立てるために英単語学習ソフトを自作するなど、本格的にプログラミングを開始した。