※本稿は、中川竜児『終章ナチ・ハンター ナチ犯罪追及 ドイツの80年』(朝日新書)の一部を再編集したものです。
互いに「恥を知れ」と叫ぶ「犠牲者追悼の日」
2024年1月27日。ドイツ・ベルリンのブランデンブルク門からまっすぐ東へ延びるウンター・デン・リンデン通りを歩いた。観光スポットの一つ、テレビ塔がある公園に近づくと、拡声機で割れた声が聞こえてきた。
「ガザをハマスから解放しろ」
ハマスの人質になっている人々の顔写真を掲げ、イスラエル国旗を羽織った人たちが叫んでいる。50人ほど集まっているようだ。集団の中を縫うように歩いていくと、立ち並ぶ大柄なドイツ人の間から、パレスチナの旗も見えてきた。
「パレスチナに自由を」
今度は真逆のシュプレヒコールが上がった。二つの集団が対峙し、デモをしている。10メートルほどの道を挟んで向こう側に、パレスチナの旗や「ジェノサイドを止めろ」といったプラカードを手にしていた人たちが見えた。あっちには100人以上いそうだ。
双方が衝突しないよう、警察官が周囲に立ち、双方を隔てる道に警察車両が配置されている。二つの集団はやがて、同じ言葉を相手に投げつけ始めた。
「恥を知れ!」「恥を知れ!」
渡航前、親パレスチナのデモが禁止されたり、参加者が拘束されたりしたといったニュースを見ていた。ナチ・ドイツによるホロコーストの「犠牲者追悼の日」である1月27日であれば、親イスラエルのデモはあるかもしれないと思っていたが、この展開は想像していなかった。
「ユダヤ人とパレスチナ人の命に差をつけている」
親イスラエル側にいた50代のルネ・ギッセルに聞いた。「ユダヤ人に対する嫌がらせが増えている。ドイツで反ユダヤ主義を繰り返してはいけない」と強調した。落書きや嫌がらせなど、反ユダヤ主義的な事件が増えているとのニュースも流れていた。別の男性は、ハマスが10月7日にイスラエルを急襲した直後、移民が多く住む地区で見た光景に目を疑ったという。「まるでお祭りのように喜ぶ人たちがいた。あり得ない」
多くの警察官が包囲しているため、大きく迂回して親パレスチナ側の集団に向かった。さらに続々と人が集まってくる。移民らしき人たちの姿も多い。
トルコ系移民の両親のもと、ドイツで生まれ育ったというファティ(28歳)は「犠牲者はどっちが多いんだ? ドイツ政府はユダヤ人とパレスチナ人の命に差をつけている」と憤った。オーストラリア人で、ドイツ人男性と結婚しているという女性は「ドイツが好きで暮らしてきたけど、今日ほど、自分がドイツ人じゃなくて良かったと思ったことはない」。親パレスチナの大規模なデモは久しぶりで、フェイスブックで開催を知って駆けつけたという。「ドイツは過去の反省から間違った教訓を引き出している。戦争を止めるのではなく、戦争に加担しているのだから」


