多様化する社会で求められる議論とは
1980年代との違いには、ドイツ社会の多様化もある。自身や両親の片方が出生時にドイツ国籍を持っていない、と定義される「移民を背景に持つ」市民は2022年に過去最高の28.7%にのぼった。ガザをめぐる問題に誰もが納得できる「答え」を見いだすのは容易ではない。
戦後、「過去を反省する」ことは、ある種の「ドイツ人としての正しいアイデンティティー」とみなされてきたが、多種多様なバックグラウンドを持つ「ドイツ人」にとっては、必ずしも規範にはならない。
ツィンメラーが言う通り、改めて問われているのは「普遍性」なのかもしれない。
だが、そんな状況で、反ユダヤ主義をあおる危険があるとして、各地のパレスチナ支援デモが制限されていた。ツィンメラーは「もし本当に法に違反したら罰せられなければならない。しかし、声を上げさせないのは間違いだ。私が恐れるのは、議論を封じられた人たちが過激化することだ。それに、移民排斥を狙う勢力はすぐこう言った。『反ユダヤ主義と闘うため、ハマスを支持するイスラム教徒は強制送還すべきだ』と。非常に危険だ」と話し、「今こそオープンな議論が必要だ」と強調した。
二分化できない濃淡のある「分断」
取材したナチ・ハンターたちの意見も割れていた。
ベアテとセルジュのクラルスフェルト夫妻はイスラエルと連帯する姿勢を打ち出していた。ローゼンバウムも、ハマスの蛮行を強く批判していた。ヴァルターは、イスラエルの自衛権を認めつつ、「明らかに行き過ぎた報復」になっているとして、戦闘を中止するための方策を探すべきだと言った。ヴィーゼは、この戦闘に乗じてドイツ国内で極右勢力が伸長していることをとても心配していた。ゲッツェは「ドイツは今、とても厳しいやり方で教訓を学んでいる」と話した。
ガザの民間人犠牲者が増えるにつれ、イスラエルに批判的な見方をする市民も増えてきた。政府も人道支援の必要性を訴えるなど、当初の強硬な支持から少しずつ姿勢を変えつつあった。
だが、「分断」の修復は容易ではない。しかもこの「分断」という言葉は、単純に二つに分かれていることを意味しない。
イスラエルの旗を掲げたグループの中にも、イスラエル政府のやり方を支持している人もいれば、反ユダヤ主義には反対するが、イスラエル政府には批判的な人もいた。パレスチナの旗を掲げたグループの中にも、濃淡があった。二つのグループを「親イスラエル」「親パレスチナ」と分けるのは、本当はするべきではないのだろう。
それぞれの立場は、重なる部分もあれば、異なる部分もある。それだけに一層、「普遍性」を探る作業は途方もなく難しい。


