世襲政治家が多くなる経済学的な理由

安倍晋三元首相は、デフレからの脱却を掲げアベノミクスを推進し、経済指標を一部改善させ、「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」では、日本の外交的影響力を広げた。

その成果は一定の国民的支持を集めたが、高市早苗政権が発足した現在、政治資金の扱いをめぐり、国民から厳しい視線が注がれている。「政治とカネ」の問題は善悪で語られがちだが、経済学的にみると異なる構造が浮かび上がる。

政治資金の実態は、総務省が毎年公開する「政治資金収支報告書」によって、ある程度把握することができる(国際協力銀行の福谷周氏のご教示による)。近年の分析では、特に自由民主党の党本部・支部にパーティーを通じた収入が集まっていることが示されており、例えば2023年分では、主要5政党の「パーティー収入」のうち約86%が自民党に集中していた。

企業・団体献金の環境が変化する中で、政治資金の流れが「パーティー収入」へシフトしているとみることができるだろう。さらに、派閥別にみても、旧安倍派は23年単年度でパーティー収入約2.1億円と報じられており、党内でも資金集めの力が強かったことがうかがえる。

日本では「政治にお金が介入すべきではない」という考えが根強い。しかし、驚かれるかもしれないが、本稿の主張は、政治とお金は本来切り離せない関係にあるということだ。

政治活動には、会合、選挙、政策立案、広報など、あらゆる場面で資金が不可欠である。もちろん過度な金銭の流れは弊害を生むが、お金そのものを悪とみなし、政治資金の移動を極端に制限する、あるいは禁止するのには賛成できない。政治とは利害の調整であり、そこには必ずコストが発生するからだ。

この点を理解するうえで役立つのが、「法と経済学」の基礎を築いたイギリスの経済学者ロナルド・コースの理論だ。彼は「コースの定理」で、隣接する牧場と農場の事例を提示した。

牛が隣の牧場から闖入ちんにゅうしてきて、農場の作物を荒らす場合、通常は牧場主が塀を設ける責任を負うと考える。しかしコースは、取引費用がゼロの――すなわち当事者同士が自由に交渉できる――場合、農場主が自ら塀を設けても、社会全体の経済効率は変わらないと主張した。重要なのは、法律がどちらにどの権利を与えるかを明確にすることで、経済の効率性は、権利の所在によらず、取引費用が小さければ変わらないという洞察である。

この考え方を政治に応用すれば、政治資金の授受も、法制度の中で明確に位置づけられていれば、社会全体の効率を損なうものではない。倫理的には違和感があっても、制度設計が透明であれば、それは合意形成のコストを下げる装置になりうる。

経済学の祖といわれるアダム・スミスは『国富論』で、人々がそれぞれ自己の利益を追求しても、結果的に「見えざる手」に導かれて社会全体の利益を高めると説いた。しかし現実の市場や政治では、スミスの理論がそのまま機能するとは限らない。

(写真=時事通信フォト)

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