自分に対して、何かと言えば反抗的な部下がいる。

どうも本能的に合わない面があるらしく、懐柔しようとしても、すべて拒否されてしまう。このまま放置すれば、自分の管理能力に疑問符をつけられかねずホトホト扱いに困っている。さて、どうしたものか―。

こんな状況に陥ったときの解決策を、中国古典では実に多彩な切り口から示している。

まずは、『論語』。そのなかで孔子がこんな言葉を残している。

・為政者が自分の姿勢を正しくすれば、命令するまでもなく実行される。自分の姿勢が間違っていると、どんなに命令しても人はついてこない(その身正しければ、令(れい)せずして行なわる。その身正しからざれば、令すといえども従わず)子路篇

上に立つ人間が立派な振る舞いをすれば、部下は必ずそれに感化されて付いてくるようになる、というのだ。儒教のキータームに「修身(しゅうしん)」という言葉があるが、まさしく自分を磨くことが問題解決の道、という教えに他ならない。

一般的には、こうした方法が穏当かもしれない。しかし相容れない感情がもつれてしまったケースなど、これだけでは対処しきれない場合もあるだろう。

この点で、『老子』という古典には、もう少し巧妙な手法が描かれている。

・天地は非情である。万物を生みっぱなしにして顧みない。聖人は非情である。人民を使い捨てにして顧みない(天地は不仁(ふじん)なり。万物を以って芻狗(すうく)となす。聖人は不仁なり。百姓(ひゃくせい)を以って芻狗となす)五章

われわれは普段生活しているなかで、「天」とか「地」といった存在をわざわざ意識することはない。しかし同時に、何かをしようとするとき、必ず天候や地形といった制約条件のなかで動かなければならない。

上司という存在も、この「天地」と同じになればよい、と『老子』は考えたのだ。つまり、普段意識されない存在であれば、下から反抗されるような手がかりを与えることもない。