中国の春秋戦国時代、多くの思想家たちが、乱れ切った天下を立て直すために頭をひねっていた。

昨今ブームといわれる『論語』の主人公・孔子や、映画『墨攻』で知られる墨子、性善説や性悪説を唱えた孟子や荀子など、みなそういった仲間の一人だった。

では彼らの思想が現実に成果を上げられたのかと言うと、答は否だった。彼らを尻目に、天下の戦乱状態は加速する一方だったのだ。

ところが、ある思想家が彗星のように現れるや、天下は統一に向かい、乱世に終止符が打たれることとなった。

その人こそ、今回から取り上げる『韓非子(かんぴし)』の著者・韓非に他ならない。彼の考え方は、秦王政(後の始皇帝)に取り入れられ、秦の中国統一の大きな力となっていったのだ。

では、なぜ彼の思想は、他の思想家たちと違い、現実に大きな力を発揮し得たのだろう。その謎を解くカギは、『韓非子』独自の状況認識のなかに秘められている。

まず『論語』にある、上下関係の考え方を見てみよう。

君主が家臣を使うには礼を基本とし、家臣が君主に仕えるには、良心的であることを旨とする(君、臣を使うに礼を以ってし、臣、君に事うるに忠を以ってす)『論語』八●篇
※●=にんべんの右側に八の下が月

上司と部下の間には、「礼儀と道徳」を基盤とする信頼関係が必要だというのだ。一方、『韓非子』にかかると、これが次のようになる。

君主と臣下とは、1日に100回も戦っている。臣下は下心を隠して君主の出方をうかがい、君主は法を盾に取って臣下の結びつきを断ち切ろうとする(上下(しょうか)は一日に百戦す。下はその私を匿かくして用てその上を試し、上は度量を操りて以ってその下を割さく)『韓非子』揚権篇

しょせん上司と部下は、絶えざる権力闘争を繰り返す関係、油断するな、というのだ。

韓非の活躍した戦国時代末期は、まさしく乱世のど真ん中。上司や部下、身内でさえ信頼できないという状況認識の方が、よりリアルであり得た。だからこそ、現実にも力を持てる面があったわけだ。