藤井英樹はトヨタの現役社員だ。そして、現会長の豊田章男が社長に就任した2009年からスピーチライターを務めてきた。本書には著者が上司、豊田章男と一緒に考えたメッセージが所収されている。「2023年、トヨタの社長は佐藤恒治に代わりました。半年後、私は『豊田章男が私たちに伝え続けたこと』という題名で社内研修の講師を引き受けたのです」

『上司 豊田章男』
藤井英樹(ふじい・ひでき)
1968年、大阪府生まれ。91年トヨタ自動車入社。広報部、人材開発部を経て2019年、フェローに就任。「トヨタイムズ」編集長歴任後、現在は豊田章男社長(現会長)の専任スピーチライターを務める。

すると、豊田章男からこう言われた。「話すだけなら消えてなくなる。どうしても伝えたい大切なことであれば、本にして残せばいいんじゃないか」。そして本書ができた。

スピーチライターになって最初の1、2年、著者は「まったく役に立たなかった」。「ある時、豊田が一通の手紙を私に見せて『藤井くん、この人の取材依頼を受けようじゃないか』と言うのです。それは私が何度お願いしても受けてくれなかった媒体の企画でした。それまで私は部数の多さや、地域の人が見ているといった媒体の特性を見て、豊田に取材の依頼を取り次いでいたのです。しかし、豊田は媒体でなく人を見ていました」

藤井は広報という組織のために仕事をしていた。しかし、豊田章男は違った。相手がどんな組織に所属していようと、ひとりの人間として向き合っていた。そこで豊田は藤井に任せず、自らスピーチを書いていたのである。「豊田にとって部数は関係なかった。その人はどんな人なのか、トヨタの大切なメッセージを託すべき人なのか。豊田にとっては人がすべてだったのです」

その時、著者は組織人ではなく、ひとりの人間として仕事をしなければいけないと気づいた。「僕はこれまで人を肩書で見てきました」

藤井が打ち明けると、豊田章男は不思議そうに笑った。「藤井くん、そんなことしてたら嫌われるよ。日本をもっとよくしたい。もっといいクルマをつくりたいと、まずは藤井くん自身が思わないと、相手にも伝わらない」

著者は当時のやりとりを振り返る。「仕えるべくは創業の精神と自らの志だ。そのために自分だけの技を磨け、ひとりの人間として生きろ。豊田からそう言われたように思いました」

スピーチを任されるようになったのは、それからだった。

スピーチライターは本人の分身として考え、文章を書く。藤井英樹が本書に載せた言葉はすべて「人間、豊田章男」と「人間、藤井英樹」の合作となっている。

そして、本書はスピーチライティングの教科書ではない。ビジネス本でもない。青春小説のような、ひとりのスピーチライターの成長ストーリーだ。

(インタビュー・文=野地秩嘉)

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