※本稿は、すあし社長『あの国の「なぜ?」が見えてくる世界経済地図』(かんき出版)の一部を再編集したものです。
なぜ、大国ロシアの未来が見えないのか
ロシアのウクライナ侵攻がもたらした最も深刻で、そしておそらく最も回復不可能なダメージは、破壊された戦車や消耗した国家予算といった、目に見える損失だけではありません。
それは、国家の最も重要な長期的資産である「人的資本」――すなわち、国民一人ひとりが持つ知識、技術、そして活力――そのものの崩壊です。
戦場での若者の喪失、未来を担うべき才能の国外流出、そして、この国を長年蝕んできた根深い人口問題の深刻化。これら三つの破壊的な潮流が同時にロシアを襲い、その国力に、数世代にわたって癒えることのない「人的な傷跡」を刻み込んでいます。
戦術的な成果の一方で、将来の成長余地を失うコストが拡大しており、全体としての「勝ち」とは決して言い切れません。
本稿では、戦争がロシアの未来そのものをいかに蝕んでいるのか、この静かでありながら決定的な危機の実態を、多角的に分析していきます。
IT・科学技術分野の空洞化
この国家の頭脳とも言える人材の大量流出で、特に深刻な爪痕を残しているのが、ロシアの未来の成長を担うはずだったIT・科学技術分野です。
侵攻開始後、ロシアのIT労働者全体の10%に相当する、約10万人が国を去ったと言われます。
ソフトウェア開発者が集まる国際的なプラットフォーム「GitHub」のデータを分析した調査では、ロシアの開発者コミュニティで中心的な役割を担っていた、最も優秀で活動的な開発者たちが、ごっそりと国外に流出してしまったことが示されています。
この人材流出は、ロシアのイノベーション能力に「死のスパイラル」とも呼べる、悪循環を引き起こしています。
まず、トップレベルの人材が失われたことで、ロシア独自の先進的な研究開発能力が、直接的に低下します。
そこに、西側諸国による経済制裁が追い打ちをかけ、先端的な半導体やソフトウェア、研究機材へのアクセスを遮断します。
その結果、ロシアは性能の劣る国産品や、必ずしも最先端ではない中国製品への依存を余儀なくされ、技術的な遅れは深刻化する一方です。
そして、この技術的な遅れが、国内に残っている有能な人材にとって、ロシアという国で働き続ける魅力をさらに低下させ、さらなる頭脳流出を加速させているのです。
このように、人的資本の流出と技術的な孤立が相互に作用し、ロシアを世界的な技術革新の潮流から完全に取り残していくのです。この現象は、孤立した環境で独自の進化を遂げた結果、国際競争力を失う「ガラパゴス化」として知られており、ロシアの産業全体がこの罠に陥るリスクに直面しています。

