治療法のない病気になったら、どうすればいいのか。精神科医の春日武彦さんは「大事なのは“病気を治すこと”ではなく“幸福の着地点を探ること”だ」という。42歳で「緑内障」と診断された歌人・穂村弘さんの半生を綴った満月が欠けている(ライフサイエンス出版)の中から、2人の対談をお届けする――。

あまりにも自然にウソをつく人

【穂村】春日先生は精神科を専門にされていますが、産婦人科とは違った意味での怖さがあるように思います。以前、虚言癖があるような人と話しただけで、とてつもなく怖さを感じました。

【春日】私だって怖いですよ。

【穂村】相手があまりにも自然体なので、あれ、こっちがおかしいのかなと思い始めて、世界が歪むような感覚を覚えたんです。

【春日】私の患者さんにはパーソナリティ障害が結構多いのですが、最初から「私の人格がおかしいので何とかしてください」と言ってくる人はいません。

だいたい初診の段階でパーソナリティ障害だと見当はつくのですが、患者さんのほうは「不眠やうつを治してほしい」と言うわけです。

とりあえず言われるがまま主訴の治療をするわけですが、症状はパーソナリティ障害に立脚しているわけですから、すっきりとは改善しない。そのうちさまざまな問題が露呈してきて、どんどん事態は厄介になっていく。

【穂村】患者さんの中にはパーソナリティ障害だと言っても納得しない人もいるのでは。

【春日】下手に指摘すると人間性を否定されたように受け取ってしまわれかねませんし、パーソナリティ障害には「治る」という概念が当てはまりません。

「生きづらさ」といったテーマになってきますから、医療には馴染みにくい部分も多い。

カウンセリング
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「治る」の基準はどこにある

【穂村】そういった時は治療を諦めるのですか。

【春日】いや、そうもいかない。

訴えに沿いつつも、もう少し器用に生きていけるように助言したり、もっと別な考え方や人生観だってあり得るよと話し合ったりします。そうなると、もはや世間的に意味するところの「治療」とはニュアンスが異なってきますね。

【穂村】さまざまな選択肢があるんですね。精神科では治ったという判断の目安はあるのでしょうか。

【春日】実は精神科で「完治」というコンセプトが当てはまるケースはほとんどありません。

なぜならその人の性格や生き方とは無縁に精神症状が発現してくるわけではありませんから。

疾患の部分だけをピックアップして取り沙汰しても、本当の解決にはつながらない。といって性格や生き方を完全に変えてしまったら、その人はもはや別人になってしまいますからね。

治療を終える場合も「また調子が悪くなったら来てね」というフェードアウトの形が一番多いんです。患者さんの中には勝手に来なくなるケースもあります。

【穂村】通院をサボっているのか、調子が良くなって来ないのか判断が難しいですね。反対に、治っているのに来る人もいるのかな。