いまの駅伝選手には「勁さ」がない?
まもなく第37回の出雲全日本大学選抜駅伝(10月13日)を皮切りに、3大大学駅伝のシーズンが始まる。
筆者は物書きという職業柄、経済物であれスポーツ物であれ、常にドラマを持っている主人公を探している。具体的には、一筋縄でいかない人生行路によって、独特の印影や勁さを兼ね備えた人柄となり、読者が魅力を感じる人物だ。
しかし、最近の大学駅伝では、なかなかそうしたランナーにお目にかからない。
むしろ逆に、わいせつ事件で相次いで逮捕される選手や元選手が出たりして(2008年東洋大学、2015年上武大学、2021年駒沢大学)、幻滅を感じることも少なくない。
また1947年(戦後復活第1回)~1986年までの40年間で途中棄権したチームは4校しかないが、1987年~2025年までの39年間では3倍の12校が途中棄権し、スピードこそあれ、勁さが失われているのではないかとも感じる。
長距離走で“勁さ”というのは、レースにおいて、不測のアクシデントがあったとしても、簡単に崩れない肉体的・精神的タフネスを指し、その後の人生の助けにもなる資質である。
「大人の都合」に翻弄される選手たち
筆者は、大学2年生になる直前に早稲田大学競走部に準部員として入部したが、故・中村清監督から「お前らは瀬古(利彦)と違って石ころだ。石ころは年に一度、箱根駅伝で花を咲かせればいいんだ」と言い放たれ、面食らった。大学の長距離走の指導者にとって、箱根駅伝で勝つことが自分の指導力を示す最高の手段で、異様な箱根駅伝重視は、当時からどの大学も同じだった。
1987年からテレビ中継が始まると、視聴率は30%近くに達し(2025年の関東地区の視聴率は往路が27.9%、復路が28.8%)、特別協賛のサッポロホールディングスが払うスポンサー料は推定で1回8~10億円、その他、ミズノ、トヨタ自動車、セコム、敷島製パン、NTTドコモなど、超大手企業からスポンサー料やサービス・商品が提供され、興行主である読売グループや日本テレビに莫大な利益が落ちる(CMの多くは読売広告社が取り扱っている)。
箱根駅伝で名前が売れると、受験生や受験料収入が増えるので、各大学ともスポーツ推薦枠や予算を拡大し、駅伝強化に特別な力を入れるようになった。各大学が負担する強化費用は、最低でも年間2億円程度と見積もられ、実質的な広告宣伝費となっている。

