捜査が始まるかは未定

ましてやこの件に関して斎藤知事は、「私の陣営が主体的に運営をやっていた」と発言、明確に疑惑を否定してみせているのだ。

にもかかわらず、多くのテレビや新聞はあたかも公職選挙法に抵触する行為が行われていたかのように決めつけてしまう形で報道したのである。加えて誤解を恐れずに言うとするならば、斎藤知事をあたかも犯罪者であるかのように扱い、報道してしまったのだ。

事件記者を長くやってきた筆者の目から見て、ここ最近の前述したような「疑惑報道」のあり方には強く疑問を感じてしまう。

そもそも「疑惑報道」とは、事件化すること、具体的には捜査当局が強制捜査に着手することが大前提、というのが我々事件記者の基本認識だ。逆に言えば、事件化しない疑惑報道は、報道のあり方としては失敗の部類に入るし、場合によっては名誉毀損きそん訴訟が提起されるリスクを伴うと言える。

そうした状況の中12月2日になって、上脇博之神戸学院大教授と元東京地検特捜部の郷原信郎弁護士が連名で、斎藤知事とPR会社代表の二人に関して公職選挙法違反(買収)の嫌疑があるとする告発状を、神戸地検と兵庫県警に郵送したことが明らかになった。

念の為に申し添えておくが、この告発状については現時点において「受理」されたわけではない。つまり実際に捜査が始まるかどうかについては、まだ今のところ未定と言っていいだろう。

とは言えこの告発状を捜査当局がどの様に扱うのか、そこには大いに注目だ。もし仮に神戸地検や兵庫県警が立件に向けて動き出すようであれば、一連の疑惑報道は確実に意味があった、ということになる。逆に立件を見送る様なことになれば、そうした疑惑報道は明らかにミスリードということになろう。

その結果が出るまでに、そうは時間はかからないはずだ。捜査当局の対応に要注目だろう。

視聴者や読者は安易な報道に辟易している

いずれにしても一連の報道が始まった段階では、違法か合法かを判断するための材料はまったく出揃っていない段階だった。

それにもかかわらず報道してしまうのは、メディアの劣化と言われても仕方がないだろう。敢えて言うならば、斎藤知事を巡るテレビ新聞の報道によって視聴者や読者が見せられているのは、ここ最近の劣化したオールドメディアの姿なのである。

散々疑惑、疑惑と騒ぎ立てながら、最終的には何の結果も出さない報道のあり方に、報道の受け手(読者や視聴者)は辟易しているのではなかろうか。

写真=iStock.com/Tero Vesalainen
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