日ごとに失われているメディアへの信頼

そもそも兵庫県の斎藤知事を巡る、様々な問題や疑惑を巡る報道では、テレビや新聞などの既存メディアは、兵庫県民や同県の有権者のみならず多くの国民の信頼を大きく失うことになってしまった。もちろんそうした既存メディアの報道を信頼しそれを支持する多くの国民や有権者がいることも間違いない。

筆者が指摘したいのは、かつてのように既存メディアが情報源として大多数の信頼を得ることができなくなってしまっている、という現実なのだ。そしてそうした「信頼」は、どうやら日を追うごとに失われつつあるというのが実情だろう。

そしてそのことは、前述したPR会社代表を巡る公職選挙法違反疑惑に関しての一連の報道を見ても明らかだ。

「note」の記事だけで断定できるのか

そもそもこの疑惑に関して言えば、斎藤知事が当選を決めた直後、斎藤陣営にあってボランティアスタッフとして活動する一方、対価を受け取る形で一部業務を請け負っていたPR会社の代表が、インターネットの投稿サイト「note」に、選挙戦の裏舞台を綴った記事を投稿したことが発端となった。

この記事の中でPR会社代表は、「ご本人(筆者注、斎藤氏)は私の提案を真剣に聞いてくださり、広報全般を任せていただくことになりました」と記述した上で、斎藤知事の公式SNSについて「私が監修者として、運用戦略立案、アカウントの立ち上げ、プロフィール作成、コンテンツ企画、文章フォーマット設計、情報選定、校正・推敲すいこうフローの確立、ファクトチェック体制の強化、プライバシーへの配慮などを責任を持って行い、信頼できる少数精鋭のチームで協力しながら運用していました」と書き綴ったのである。

総務省がまとめた、インターネット選挙運動解禁を受けて改正を見た公職選挙法のガイドラインによれば、報酬を受けた業者が主体的・裁量的に選挙運動の企画立案を行った場合には買収となる恐れが高い、としている。

このガイドラインに従うならば、前述の記述がもし仮に事実だとしたならば公職選挙法に抵触する可能性が出てくる、という指摘もわからなくもない。しかし果たしてPR会社代表のいう「監修者」とは、実際のところ斎藤陣営の中でいったいどのような役割を果たしたのか。その「監修者」の定義づけがあいまいなため、前述のガイドラインが言うところの「主体的・裁量的に選挙運動の企画立案を行った場合」に該当するのかどうか、この「note」の記事だけで断定することは絶対にできないはずだ。

白いワイヤレスキーボードで文字を打つ女性の手元
写真=iStock.com/Ignatiev
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