運は操れないけれど貯めることはできる
こうしたエピソードからもわかるように、萩本の運との対しかたは普通とは少し違う。運が悪いときは耐え、運が良くなるのをひたすら待つ。それがわりとよくある考えかただろう。だが萩本は、そうではない。
運を自分の力ではまったくどうにもならないものとは考えていない。むろん運を自在に操ることなど不可能だ。だが自分の行動で運を引き寄せることはできる。そう考えている。だから快晴に恵まれたなかでゴルフをやって運を無駄遣いしない。逆に部屋にひきこもって企画をウンウンうなりながら考えることで運をコツコツ貯めることを萩本は選ぶ。
タレントを育てるときも同じだ。あるとき、『欽ドン!』に抜擢した松居直美に20回同じことをやらせ、「一番最初のでいこう」と言ったことがあった。後年、不思議に思っていた松居は「最初でよかったのなら、後にやった一九回は何だったんでしょう?」と聞いた。すると萩本は、「一回やってできても、有名にはならなかった」と答えた(同書、45頁)。
その考えはこうだ。神様は1回でできたひとを有名にさせない。だから神様に、「このコは一回でできるところを二〇回やったのよ。だからこの一九回を一所懸命やった分、有名にしてね」とお願いするのである。そして松居直美は、現在も活躍する息の長いタレントになった(同書、45頁)。
「ダメなときほど運が貯まっている」
よく萩本は、「運の法則」として、「ダメなときほど運が貯まっている」と言う。失敗ばかりでうまくいかないときは、「自分は将来のための運を貯めているのだ」と思えばよい。だから普段から無駄を無駄と思わずコツコツやるのが大切だ。それを運の神様はどこかで見ている。
とはいえ、ここまで運を引き寄せるために徹底してやるひとも珍しい。ちょっと「不思議なひと」と思うひともいるはずだ。しかし、萩本欽一と同じ「昭和」を生きた人間にとっては理解できる面もあるのではなかろうか。
萩本の運を貯蓄するという考えかたには、努力や勤勉を尊び、無駄遣いを避けることをよしとする昭和的価値観に通じるものが感じられるからだ。努力や勤勉は、高度経済成長期に培われた日本人の美徳である。さぼらず真面目に勉強し、仕事をしていれば、たとえささやかでも安定した生活は保証される。右肩上がりで成長する経済がそれを信じさせてくれた。
ただもう一方で、高度経済成長期は競争への意識が高まったときでもあった。自由と平等の世の中では、本人の努力次第で道は開ける。大きな成功も夢ではない。だがそれを目指すのであれば、プラスアルファが必要になる。そのプラスアルファが運である。特に萩本欽一が選んだ芸能の世界は、成功するためには人気という目に見えないものを相手にしなければならないだけに運の占める部分はいっそう大きくなる。