運に恵まれる人、恵まれない人はいったい何が違うのか。「雀鬼」の異名で知られる桜井章一さんは「本当は運のいい人、悪い人というのは存在しない。運は誰に対しても平等であり、ただ、運が流れ込んでくる“入口”をたくさん持っているか、いないかの違いがあるだけだ」という――。(第5回/全5回)

※本稿は、桜井章一『雀鬼語録 桜井章一名言集』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

「運が流れ込んでくる入口」を増やせ

運に恵まれる人は、運が流れ込んでくる入口をたくさん持っている。片や、運の入口が少ない人は、そのことを半ば運命のようにあきらめているかもしれない。

だが、運の入口を増やすことはさほどむずかしいことはではない。意識や行動の習慣を少し変えるだけでその数は増やせるものだからだ。

入口を増やしたところで、そもそもその人の一生における運の量は決まっているのではないか――そんなふうに考える人も少なくない。

運に「上限」はあるか

ものすごくラッキーな出来事が起こった人が、その後、まったくツキがなくなってしまうことがある。そしてたいてい、「あのときに一生分の運を使ってしまったんだ」という感想を漏らす。

対局中の将棋盤
写真=iStock.com/Wirestock
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大ブレイクしてテレビ番組などに引っ張りだこになった芸人がいつの間にか姿を見せなくなり、「そういえばあの人どうしたんだろう」となることがたまにある。そんなとき、周囲の人は「あの人は運を使い切ってしまったのかもしれない」という感想を抱く。

実力以上に大きな運が舞い込むと、人はそうした感慨を抱くことが多い。

「幸運なことがあると、相殺するように“よくないこと”も起きるんじゃないか」。そんな不安な心理が働くのだ。

運が育っていく生き方

はたして、大きな幸運に恵まれると、人は本当に一生分の運を使い尽くしてしまうのだろうか。

そんなことはけっしてない。

運というのは、埋蔵量に限りがある鉱物や石油といった資源とは違う。運の総量は、運命のように定まっているわけではない。一生の時間のなかにおいて、それは無限にあるのである。

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