懸命に努力してもどうにもできない命

しかも、NICUには特有のジレンマがある。命を救うことができても、赤ちゃんは重いと共に生きることになることもあるからだ。患者家族に「NICUで命を助けたから家族が不幸になった」と言われたこともある。自分たちの努力は正しいのかという本質的な悩みから、職場を去るスタッフもいた。

さらに、お産や赤ちゃんの病気は24時間待ったなし。土日や夜も誰かが働く必要がある。NICUで働きたいという人自体なかなか現れない時期もあった。

「20年前は、『周産期医療の危機』とさえいわれていました。とにかく小児科医や産科医のなり手がいないんです。何とかしなければ、そう考える中で、『みんな、妊娠・出産を支えている周産期医療を知らないだけなんじゃないのか。子供のうちにその存在を知ったら、なりたいと志してくれる子供達もいるのではないか』と考えるようになりました」

2007年、ある講演会で豊島さんのNICUでの取り組みについての話を聞いて感銘を受けた1人の薬剤師が、「赤ちゃんが無事に生まれてくることや、私たちの命が守られていることは、決して当たり前のことではないことを、子供たちにこそ伝えたい」と、息子の中学校での講演を依頼してきた。

その講演がきっかけで始まったのが「NICU命の授業」だ。神奈川県内の小中学校、高校、看護学校などで、不定期に実施している。

「命の授業」では、どんな赤ちゃんがNICUにいるのか、家族はどんな思いでその赤ちゃんに接しているのか、NICUを「卒業」した赤ちゃんたちが、その後どんな人生を歩んでいるのかを紹介する。障がいと共に生きる子供と家族のことや、残念ながら亡くなってしまった赤ちゃんのことも話す。その学校にNICUの「卒業生」やその家族などがいる場合には、その人たちにも話をしてもらう。

スタッフたちも、大変なこともあるけれど、その中に楽しさややりがいを感じて働き続けていることを伝える。豊島さんが生徒たちの前でよく話すのが、山登りの話だ。

「高い山と長生きは似ている気がします。山に登るとき、誰もが高い山の頂上からの景色を眺めたいと思います。でも、頂上だけ見ていると足元の花や途中のきれいな景色に気づかないかもしれません。足元の花を踏みつけているかもしれない。長生きすることばかりを考えていると、今日生きていることの奇跡、今日気づける楽しさや喜びに気づけないかもしれません。生きている毎日を赤ちゃん、家族、スタッフで大切に過ごしたい。『日々を生きる喜び』を感じられるようなNICUを目指しています」

 

出所=『医学部進学大百科2025完全保存版』(プレジデントムック)

これまでに90回行われてきた「NICU命の授業」。最近では「あの授業を受けて、医療の道に進む決心をしました」という若い医療関係者や新生児医療に関心を持つ医師や看護師も増えてきたという。

『医学部進学大百科2024完全保存版』(プレジデントムック)

NICUにこもって働き続けた医師人生だったけど、いい出会いもたくさんあった。NICUの卒業生の父・元プロ野球選手の村田修一さんをはじめ、毎年、クリスマスコンサートを開いてくれる歌手の相川七瀬さん、ピアニストの斎藤守也さん、「命の授業」を通して知り合った学校の先生や保護者たち。ボランティアや寄付でNICUを応援してで支えてくれるたくさんの人たち。

「しんどいのは今も変わりません。やめたくなったことも何度もありました。でも、やめなくてよかったと思える大きな喜びを感じる場面もたくさんありました。これから医師を目指す人には、命に向き合う大変さを覚悟て飛び込んできてほしいです。大変さのそばに喜びや楽しさを見つけられる日がくると信じて」

経歴
1987年 東京都立戸山高校卒業                         1994年 新潟大学医学部卒業後、神奈川県立こども医療センター小児科で臨床研修
1996年 同センター新生児科で臨床研修
1998年 東京女子医科大学附属日本心臓血圧研究所循環器小児科で臨床研修と基礎研究
2000年 神奈川県立こども医療センター新生児科医員
2002年 日本未熟児新生児学会賞受賞
2004年 同センター新生児科医長
2005年 日本小児循環器学会YIA賞受賞
2006年 アジアPediatric Research学会YIA賞(新生児学部門)受賞
2007年 アジアPediatric Research学会YIA賞(小児循環器学部門)受賞
2008年 神奈川県内の小中高などで「NICU命の授業」スタート
2014年 同センター新生児科部長
2015年 ドラマ『コウノドリ』で医療監修担当(2017年も)
2019年 同センター周産期医療センター長を兼務
2020年 日本心臓病学会優秀研究論文賞受賞
2022年 同センター臨床研究所副所長を兼務                   2024年 日本新生児成育医学会理事(診療委員会委員長)
NICU命の授業』『新生児の心エコー入門』ほか著書多数
(文=金子聡一 撮影=市来朋久 一部写真は本人提供)
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