誰もが校正したくなる「奇妙な文体」

私はあらためて日本国憲法を素読みしてみることにした。本などの印刷物の場合、印刷で誤植が生じる可能性もあるので、デジタル庁が提供するe-Gov法令検索のプリントアウトも用意した。そして条文に定規を当てて読み始めたのだが、いきなり前文から校正したい衝動に駆られた。

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

文章が異常に長い。長すぎて主語の「日本国民」が結局何をするのか、よくわからなくなる。行動し、確保し、決意し、宣言し、確定する、という具合に述語が転々として転びそうになるのである。制定当時、法制局第一部長だった佐藤達夫によると、日本国憲法は法令としては「革命的な企て」(佐藤達夫著『日本国憲法誕生記』中公文庫 1999年 以下同)である「ひらがな口語体」を採用したという。それまでのカタカナ文語体を捨て、誰もが読める民主的な条文を目指したそうだが、実際に一字一句読んでみると、読みやすいがゆえにかえってわかりにくい。誰もが読める、というより、誰もが校正したくなる奇妙な文体なのである。

日本国憲法の原本(写真=Akonnchiroll/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons

GHQは「日本語を直しに来たのか」?

そもそも日本国憲法が成立した「根本の原因」はポツダム宣言の受諾だったという。第二次世界大戦で負けた日本は、軍備全廃、軍国主義の一掃、基本的人権尊重の確立などを要求するポツダム宣言を受け入れた。そしてGHQの占領下に置かれ、ポツダム宣言に基づく新たな憲法の作成を迫られたのである。

その原案がいわゆる「マッカーサー草案」。GHQ最高司令官のマッカーサー元帥が英語で起草した条文で、「字句その他の調整はしてもよいが、基本原則と根本形態は厳格にこれに準拠」するように命じられたらしい。日本政府は早速これを日本語に翻訳し、字句を調整して、GHQに提出。GHQはそれを再び英語に翻訳し直してチェックする。憲法担当の松本烝治国務大臣(当時)がGHQに対して「日本に日本語を直しに来たのか」と激昂するほどの議論があったそうで、その末に「憲法改正草案」が完成。法的な手続きとしては、それまでの大日本帝国憲法を改正するという形式で同草案は第90回帝国議会(当時は貴族院と衆議院)にかけられた。憲法改正の審議ということになるのだが、あらためて議事録を読んでみると、それはまるで字句をめぐる校正作業のようなのである。