うちのパパはヤバい奴なのかもしれない
そんな両親でも、奈々さんには幸せな思い出はあった。
「小さい頃はよく父に肩車をしてもらいましたし、家族3人で遊園地に行った記憶もあります。でも、物心ついていろいろわかるようになってくると、どうしても父といると、どこに地雷があるのかわからないので気を遣わなくてはならず、メンタル面のケアをしているような感覚になり、精神的に疲弊してしまいました」
両親は、顔を合わせれば喧嘩になり、父親は「お前はママみたいになるなよ!」「お前のママは俺が稼いだお金で無駄遣いばかりしている悪い嫁だ!」と母親の悪口を奈々さんに吹き込む。母親は母親で、「パパは頭がおかしい!」「寝ている時に頭を踏まれた!」などと、父親の愚痴を延々と奈々さんに聞かせ続けた。
「母のことを父に否定された時も、父のことを母に否定された時も、どういうわけか、自分自身が否定されているように感じました。苦しかったですが、子どもの頃からすでに『人生=苦しいもの』という思い込みのようなものが私の中にあり、苦しいことも苦しいと思えずにいたような気がします。ずっと、ロボットやアンドロイドになりたかったです。怒りや悲しみ、喜びさえ、感情のすべてを要らないものだと考えていました。おそらく、『もうこれ以上苦しみたくない』と思っていたのだと思います」
奈々さんは、父親が「しつけが良さそうだから」母親が「英語を学べるから」という理由で選んだ幼稚園に通い、そのまま同じ系列の私立の小学校に進学。クラスメイトや友だちと話しているうちに、「うちのパパはヤバい奴なのかもしれない」と思うようになっていく。
「3年か4年生頃だったでしょうか。友だちたちは、親に『叱られる』ことはあっても、『感情任せにものすごい剣幕で怒鳴られる』ことはない。また、年に1〜2回だとしても、家の中で物にあたって壊すほど激しく暴れるということもしない……ということに気づいてしまったのです。それと同時に、『うちの父がヤバい奴だということは、周囲にバレてはいけない』という空気が家の中にあることにも気づきました。今思えば、それは洗脳に近いのではないかと思います」
小学校で奈々さんは、問題児とされている子とつるみ、“ちょっとした悪いこと”をするようになっていった。“ちょっとした悪いこと”とは、学校に持ってきてはいけないとされている、勉強に関係ないものを持ち込むことだった。
「当時私は、“いかにも平和ボケしている同級生たち”に憧れと同時に、嫉妬や憎しみのようなものも抱いていました。どうせバレて叱られるのに、なぜか“ちょっとした悪いこと”に惹かれている自分がいました。叱ってもらいたいと思うほど、学校の先生にかまってもらいたかったのかもしれません」
“ちょっとした悪いこと”がやめられないのは、他人から命令されると断れないという性格も手伝っていたようだ。それは、身内に対しては自分の意見を強引に押し通そうとする、両親からの悪影響に間違いなかった。