現在40代の女性の小・中学生時代は地獄だった。継父と別居した母親と共に祖母宅に身を寄せたが、母親は仕事をせず、ひきこもり状態。年金収入のある祖母におんぶにだっこだったが、母は毎日のように喧嘩した。炊飯器を投げつけたり、人前で裸でうろついたり、深夜に壊れた人形のように突然ケタケタ笑ったりと精神的に不安定だった母親は娘に食事を作らないこともしばしばだった――。
しかりつける母親から逃れるためにテーブルの下に逃げ込んでいる子供
写真=iStock.com/Thai Liang Lim
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ある家庭では、ひきこもりの子どもを「いない存在」として扱う。ある家庭では、夫の暴力支配が近所に知られないように、家族全員がひた隠しにする。限られた人間しか出入りしない「家庭」という密室では、しばしばタブーが生まれ、誰にも触れられないまま長い年月が過ぎるケースも少なくない。そんな「家庭のタブー」はなぜ生じるのか。どんな家庭にタブーができるのか。具体的事例からその成り立ちを探り、発生を防ぐ方法や生じたタブーを破るすべを模索したい。

今回は、4歳の頃に母親に置き去りにされ、祖母に育てられたものの、母親に苦しめられ続けてきた40代の女性の家庭のタブーを取り上げる。彼女の「家庭のタブー」はなぜ生じたのか。彼女は「家庭のタブー」から逃れられたのだろうか。

あなたなんて母親じゃない

中部地方在住の蓼科里美さん(仮名・40代・独身)の母親は20代の頃、通っていた大学で10歳ほど年上の大学職員と交際に発展し、結婚。23歳の頃に蓼科さんを妊娠・出産した。ところが、その後すぐ母親は大学職員の家を追い出され、離婚した。

離婚後、生後間もない蓼科さんと共に実家に戻った母親は、娘を祖母に預けて働きに出るが、スナックや工場勤務など、何をやっても長続きせず、勤め先ともめては辞めていた。家には男性が出入りするようになり、祖母とは連日喧嘩ばかり。幼い頃、蓼科さんは、2人がののしり合う張り詰めた空気や怒鳴り声、暴れる母親が怖くて仕方がなかった。

4歳くらいの頃、母親は蓼科さんに言った。「お母さんと一緒に来る? ここに残る?」

蓼科さんは母親がたずねている意図が分からず、「ここにいる」と即答。その数日後、母親は荷物をまとめて実家を出て行った。状況を察した蓼科さんは、泣き叫びながら数十メートル追いかけたが、母親は一度も振り返らずに行ってしまった。

「そのとき私は、『あなたなんて母親じゃない』と固く心を閉ざしました……」

母親はスナックで出会ったやはり10歳ほど年上の男性と再婚したのだった。それからというもの、継父(母親の再婚相手)と母親が暮らす家へ、蓼科さんは祖母に連れて行かれるようになる。そこにはいつしか弟が生まれていた。

「弟のこちはかわいいと思っていましたが、いつも決まって帰りに祖母から母の愚痴や悪口を聞かされるのは嫌でした。祖母は実の娘である母のことを、寝タバコをする。男にだらしない。お金遣いが荒い……などと言い、私はまるで祖母の感情のはけ口でした。私は帰宅するといつも、自分が責められているように感じて泣いていました」

祖父は祖母の他に愛人がおり、長く別居状態。蓼科さんには祖母は優しかったが、気性が激しい面もあったようだ。

蓼科さんは幼稚園に入園すると、ほどなくして蓼科さんは、軽いいじめに遭うようになった。蓼科さんが祖母に相談すると、祖母は「やられたらやり返せ!」と言った。しかし蓼科さんにはできない。あまりにも蓼科さんが幼稚園に行きしぶるため、結局祖母は幼稚園を退園させることにした。

蓼科さんが小学校に入学すると、母親と継父の間には、2人目の息子が生まれた。ところが蓼科さんが2年生になったある日のこと。弟たちが暮らす家が火事に見舞われ、蓼科さんの下の弟が全身大火傷で亡くなってしまう。

「後で知りましたが、火事の原因は母の寝タバコと、弟のガスコンロ遊びでした。もしも一緒に住んでいたら、私は今ここにいなかったかもしれません……」

蓼科さんはその後、学校で担任教師から火事について、さまざまな質問を受ける。一緒に住んでいたわけではないうえ、まだ小2の蓼科さんに答えられるはずがない。自分が責められているように感じた蓼科さんは、学校が怖くなっていった。