一難去ってまた一難

祖母はある宗教を信じていた。

幼い頃から蓼科さんは、祖母に好かれたい一心でその宗教の会合にも参加していた。祖母と一緒に仏壇に向かい、お経をひたすら唱え続けた。

ところが小6になったある日のこと。学校から帰ってくる途中で、近所の人から「お宅の猫がうちの敷地に勝手に入ってくるから何とかしてくれ。あと、母親がうるさいから何とかしろ!」と苦情を言われる。

帰宅後、蓼科さんは、悔しさのあまり号泣してしまった。

「いくら信心しても幸せになれません。母もおとなしくはなりません。私は大人たちの言うことを素直に聞いて、全部言う通りにやっているのに……。私が悪いのでしょうか? 私だってグレて母のように大暴れしたかった。大人たちを困らせてやりたかったです」

中学校に上がると、自動車修理の仕事をしていた叔父が大怪我を負い、会社を辞めてしまう。祖母の年金だけで一家4人の生活は回らなくなり、蓼科さんの学校で必要なものが買い揃えられないようになった。さらに、電気やガスが止められる事態に陥ることも少なくなかった。

蓼科さんが中2になったある晩、母親が突然「騒音がうるさい!」と言って近所に殴り込みに行って通報され、精神病院への措置入院が決まる。

旦木瑞穂『毒母は連鎖する 子どもを「所有物扱い」する母親たち』(光文社新書)
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「母が恥ずかしくてたまらず、恨む気持ちもありましたが、それ以上に母がいなくなって心底ほっとしました。母が引きこもっていた奥の部屋にフロイトの夢判断の本があったのですが、自分の症状がメモしてあり、人知れず母も悩んでいた様子が窺えました。でも私が育った環境は、母以上に過酷でした。私は誰を憎めば良かったのでしょうか? 母も私も、わからないからお互いを憎み、神経をすり減らしながら耐えるしかなかったのだと思います」

実家から母親がいなくなり、平穏が訪れたものの、今度は学校でいじめが始まり、再び蓼科さんは不登校に。

しばらくは強制的にでも学校に行かせたい祖母と対立するようになったが、次第に祖母は蓼科さんの気持ちに寄り添うようになり、学校に行かせることを強要しなくなっていった。(以下、後編に続く)

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