最初に父親を、その次に母親を自宅で介護することになった50代の娘。介護離職を余儀なくされ、夜明け前から深夜まで働き詰めの日も珍しくない。80代の老親が世話になる介護施設や病院には感謝する一方、時には冷淡な対応をされ、当惑することもあった。昨秋に9年間の介護を終えた女性が直面したしんどい現実とはどんなものだったのか――。(後編/全2編)
男性の足
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隣人の葬儀での巡り合わせ

2015年2月、近所に不幸があり、犬塚紀子さん(現在50代・仮名・関東地方在住)はなし崩し的に始まった父親(85歳)の介護の合間を縫って葬儀に参列した。

そこで犬塚さんが幼稚園の頃まで住んでいた借家の大家さんと久しぶりに会う。大家さんは最近ようやく、99歳の義母の介護認定を受けさせることができたという。それを聞いた犬塚さんは、「いいな〜、うちも受けたいんだけど、母(82歳)が嫌がって……」と苦笑した。

その数日後のこと。犬塚さんが仕事から帰宅すると、「昼間に大家さんが来て、介護認定を受けたほうがいいって。大家さんが言うなら受けてもいいと思う」と話し出す母親。犬塚さんはびっくりした。

その数日後、介護認定を嫌がっていた母親は、包括支援センターに行くという犬塚さんを快く送り出してくれた。犬塚さんは、さり気なくフォローしてくれた大家さんに心から感謝した。

包括支援センターで受けたショック

包括支援センターでは、

「お父さんは、ある時期から急に性格が変わって怒りっぽくなったとか、暴言を吐くようになったことなどはありませんか?」

という質問を職員から受けた。

「いえ、父は昔から怒りっぽいので急変したような感じはありません。急変と言うなら母のほうが……」

そう言いかけてハッとした。

ここ3年ほどで、母親は性格がガラリと変わった。物が倒れたとか、家電が壊れたとか、誰のせいでもないことを全部犬塚さんのせいにして怒鳴った。

「何でもかんでも私のせいにして怒っていましたね。『お前の事は、昔から嫌いだったんだ。お父さんに似てるから』『お前なんか、どこへでも行けよ』という2つの言葉はけっこうこたえました」

呼ばれた時にすぐ自分の元に来ないと「遅い!」とヒステリーを起こし、ゴミ箱を蹴飛ばすなどの荒っぽい行動も。犬塚さんへの暴言もここ数年で急に始まった。

「私は母の変化を『介護ストレス』と思って我慢していました。『認知症=物忘れ』と単純に思っていたけれど、性格の急変や本人だけの謎のこだわりなど、他にもいろいろあるということをこのときに知って、見事なまでに母に当てはまると思い、ショックでした」

その日の夕方、包括支援センターの職員が、介護認定調査の申込用紙を2枚持って訪問。まさか自分にまで矛先が向くとは思っていなかった母親は、介護認定調査を必死に拒否。職員は強要をすることはなく、父親の介護認定調査や生活に必要なサービスなどの話に移った。

犬塚さんの悩みのひとつだった「主治医の意見書」問題は、胃潰瘍の時の主治医の診断は時間が経ち過ぎていたため、母親が健康診断で通っていたクリニックの医師が引き受けてくれた。

車のない犬塚さんのために、介護タクシーも紹介してくれた。父親は初めての介護認定調査を受けると、約1カ月後、要介護3という結果が出た。犬塚さんは、「とっくに認定を受けていいレベルだったんだな……」と複雑な気持ちになった。