ある家庭では、ひきこもりの子どもを「いない存在」として扱う。ある家庭では、夫の暴力支配が近所に知られないように、家族全員がひた隠しにする。限られた人間しか出入りしない「家庭」という密室では、しばしばタブーが生まれ、誰にも触れられないまま長い年月が過ぎるケースも少なくない。
そんな「家庭のタブー」はなぜ生じるのか。どんな家庭にタブーができるのか。具体的事例からその成り立ちを探り、発生を防ぐ方法や生じたタブーを破る術を模索したい。
今回は、7歳の頃に両親が離婚して以降、母親に振り回され続け、その後、結婚した夫にも振り回された、30代の女性の家庭のタブーを取り上げる。
両親は7歳の頃に離婚
中国・四国地方在住の小倉沙美さん(仮名・30代)の両親は、20歳前後の頃に出会った。母親より1~2歳上の父親は自動車メーカーに勤務し、母親は看護師だった。
「出会いのきっかけはわからないのですが、いわゆる“デキ婚”だったようで、母は自分の母親(小倉さんにとって祖母)にも、父との結婚が決まるまで何も言わなかったようです」
両親は母親が21歳のときに結婚し、22歳の頃に小倉さんを出産。その2年後に妹が生まれた。
「父は自分の趣味や仕事に生きる人で、優しくはありましたがあまり遊んでもらった記憶がありません。母は人の世話をするのが好きですが、相手のためというよりは、恩を着せてマウントを取ろうとするタイプです。プライドが高く、自分が悪くても謝ることはしませんでした」
小倉さんの母親は料理が下手だった。美味しくないせいで小倉さんや妹の食が進まないと怒り出し、バツとして1~2時間玄関の外に出されていた。また、母親から言われたことにすぐに従わないと、頭や肩などを叩かれた。ひどいときは腕を叩かれた拍子に母親の爪が腕の皮下組織までえぐったこともあった。だが、痛がって泣く小倉さんを前に、「これぐらいたいしたことない」と言い、病院を受診させてくれなかった。そのため小倉さんの腕には今も、そのときの痕が残っている。
父親は仕事が忙しく、平日は夜遅くまで帰らず、休みの日もほとんど家にいなかった。もともと転勤が多かった父親は、小倉さんが小学校に上がると単身赴任に出ることに。
その約1年後、小倉さんが7歳の頃、父親(30代)の不倫が発覚。母親(29歳)が責めると父親は、「彼女と一緒になりたい。もうお前たちとは住めない」と言った。
母親は父親が仕事でいない日の夜、突然荷物をまとめ、小倉さんと妹を連れて関西の家を出、中国・四国地方の実家に帰った。
父親は何度か母親の実家に来て話し合いを求めたが、母親は「養育費はいらない。その代わり子どもたちにも会わせない」と言って完全拒否し、離婚に至った。