「ブランドランキング」が下がっているということは、ブランド力や人気がなくなっているということだ。テレビ局が社会的なステイタスを保てなくなっていることに他ならない。

地上波のCM枠売り上げの低下に伴って人件費の切り詰めも進んでいるため、「高収入」というかつてのテレビ局の「高嶺の花」も幻となった。そんないま、「24時間テレビ」は社会的なアピールができ、テレビ局のプレゼンスを高めるために最適な番組であると言えるだろう。

消えつつある「テレビの良心」

寄付金が増えれば感謝され、福祉や環境、災害復興などの支援事業に貢献しているという役割を担うことができる。

社員にとってもプライドの拠り所となる。「偽善」や「感動ポルノ」という非難の声もあるが、日テレには1970年から半世紀以上続いている「NNNドキュメント」があるように、こういった「テレビの良心」のような番組は社会的なステイタスを保つためにも必要だと私は考えている。

前述したように、「24時間テレビ」は視聴者や世間が考えるほど会社の金銭的な収益面においてのメリットは少ない。「NNNドキュメント」においては、あえて提供スポンサーをつけないなど、採算度外視で企画を選び、取材を重ねている。

「テレビの良心」を持つことには、こういったような「会社としての覚悟」が必要だ。だが、肝を据えて覚悟をすれば、「自分たちは社会に貢献している」という自負を糧に番組を作り続けることができる。

日本テレビで定年まで「花形ディレクター」として大型特番を作り続けた元社員クリエイターは証言する。「24時間テレビは『伝統祭り』だ」と。

1970年代には、「アメリカ横断ウルトラクイズ(1977年)」「24時間テレビ(1978年)」「ズームイン‼朝!(1979年)」「欽ちゃんの全日本仮装大賞(1979年)」などのレジェンド的な番組が続々と誕生した。そのなかでいまも定期的なスパンで放送されているのは「24時間テレビ」だけだ。

そういった意味で、日本テレビの人間にとっては「祭り」のような“なくてはならない”番組になっている。同時に、普段はもうけさせてもらっている企業としてはこれくらいは「社会貢献」しなければダメだろうみたいな考え方が、いわば「DNA」のように各人の精神の根底に刷り込まれていると言っていい。

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クリエイターにとっての「24時間テレビ」の意義

最後に「24時間テレビ」のような番組を作り続ける「意義」について述べておきたい。

かつての大番組で総合演出を務めるクリエイターに憧れる私がいたように、輝いている先輩や目標とする作り手がいるということは、テレビ業界の活性化につながる。長時間の生放送をやり遂げるノウハウを受け継いでいくことも大切だ。