2回目の脳梗塞発症で体が不自由になるも、女性が献身的に介護
フィリピン人パートナーと別れたあと、別のパートナーと暮らしたが、その頃に2度目の脳梗塞を発症。前回の脳梗塞発症時は東洋医学などで予後を過ごし、ほとんど後遺症が残らなかった。2回目も同じように乗り切ろうとしたが、うまくいかず後遺症に悩まされた。
「病気を甘く見ていたのは、私の傲慢としかいいようがありません。最後のパートナーも献身的を介護してくれましたが、体が不自由だからイライラして当たり散らしてまって。金銭的にも肉体的にもますます苦しくなり、彼女とも別れました。本当にいろんな女性に迷惑をかけてしまったと心から反省しています」
そう肩を落とすが、自業自得の面も否めないだろう。体が不自由ながらも、撮影や原稿を書く仕事を細々ながらも続けていたので、生活はなんとかできた。だが、出版不況で雑誌の仕事もどんどん減り、収入は尻すぼみに……。
よしおかさんは、明らかな“ダメンズ”だ。異性との交遊が激しく、金遣いが荒く、ときに暴君になる。夫やパートナーとしては完全な“無理ゲー”な相手のはずだが、女性たちは彼の無軌道ぶりになぜか心をくすぐられ、次々に巻き込まれてしまう。“自分がいないとこの人はダメになる”。そんな母性本能に似た気持ちを掻き立てられるのだろうか。
皮肉を込めて、沢田研二が歌った『憎みきれないろくでなし』を地でいくキャラクターですねと言うと、「そのほうが男として魅力的でしょ?」と悪びれるそぶりはまったくなく、自画自賛した。
フィリピン人の恋人が多かったから英語は堪能かと思いきや、好きだった洋楽を自分で訳すことから始まったので全くの独学。本人曰く「伝わればいい」程度。自己肯定感の高さと、英語での押しの強いコミュニケーション。そんな日本人離れしたところも外国人ウケの要因かもしれない。
再び大病をした後、今年から、「最初の妻」と身を寄せ合うように同棲を始めたよしおかさん。今年、念願の写真集『ROUTE66 置き去りにされた風景』を出した。当初、大手出版社から刊行する話もあったが、結局は自費出版に。
「出版社はどうしても利益を追求してしまいますからね。それはしょうがないと思うのですが、印刷、装丁、デザインに関して妥協したくなかったので、時間もかかりました。66歳で、ルート66の写真集を出せたことが嬉しいですね」
写真集は、車のイベントで手売りしたり、SNSに問い合わせがあった人に売ったり。利益は多くないが、自分の世界観に共感してくれる人の手に渡っているので、それでよしとしているそうだ。今後、車のイベントや講演などのお呼びがかかれば受けるつもりだが、仕事が入るかどうかは未知数だ。
よしおかさんは6人きょうだいの2番目だが、彼以外は皆他界してしまった。寄りを戻した「最初の妻」が唯一の近親者だ。
「ほぼリタイヤ状態ですけど、きょうだいの分までしぶとく生きていきたいですよ。2年後の2026年にルート66が誕生100周年を迎えるんです」
と、明るい表情のよしおかさんにがどんな人生が待ち受けるのか。
「頑固じじい、5歳児、犬。あなたにはこの三面性がある」
これは最初の妻による、よしおかさん評だ。今のところは別れずに暮らしているが、2人の関係が今後も続くのか、破綻するのか。それは誰にもわからない。