今の若者に衝動はあるのか?
衝動とは何ものなのか、どうすれば衝動が見つかるのか、どうすれば衝動が自己に取り憑くのか……。衝動、衝動の連呼。そして気づく。彼がこうまでして若者に「衝動」を説くのは、今の若者たちには、明確にヒリヒリ灼けて腹の減った、渇望に近い衝動なんてものを感じることがないからではないか。あるいは自分の中にこみ上げる得体の知れぬ何かがあっても、それを「衝動」と名づけられるとは想像もしないほどに、彼らは満たされ、あるいは手なづけられているからではないか。
先行き不透明なくせに、先細ることだけは確かな少子化の時代。若者に贈る人生論は、「人生のレールを外れろ」という衝動論だった。衝動を実装し、あらかじめ用意された物語とは別の物語にジャックイン(接続)せよという、これは不穏な精神のプロパガンダだ。
忘我の境地、非合理なくらい夢中になれる、“別の物語”に接続せよ。あのぼろぼろの電通マンだって、もしかしたらそんな衝動に突き動かされながらひたすら時代を疾走したんじゃなかったのか。たどり着いた結末は、彼の想像とは違ったのかもしれないけれど。
自分がいま身を置く物語ではない、“別の物語”。それはきっと大人にも、いいや先の長い人生に飽いた大人にこそ必要だ。