その一方で有巣氏は、アフターコロナに向けた取り組みを模索していた。

「コロナ禍は本当に大変でしたが、会社を必ず復活させるという想いを持って何とかやってきました。しかし、また次の大きな環境変化を想定した場合、やはりこのままではだめだと考えたのです。何か新しい種を見つけなければならないと四六時中考えていました」

模索を続ける中で、富山県の老舗酒蔵である若鶴酒造との連携に行き着いた。比較的アクセスしやすい北陸地区との間で、お互いの酒蔵見学を通じた観光コースを作ろうと考えたのだ。

2021年4月に同社を訪問した際に、ウイスキーを製造する関連会社の三郎丸蒸留所をたまたま見学した。何とかしなければいけないと考えていたときに、偶然ウイスキーに出合ったのだ。

最初は気乗りしなかったが、工場見学で一転

「ウイスキーについては同じアルコール飲料ということもあって、以前にどういうビジネスなのかを少し調べたことがあります。そうしたら、造ったものは少なくとも3年以上は寝かせなければいけないということがわかりました。中には12年も寝かせるものもあって、これだけ長い期間キャッシュが入らないビジネスは我々のような弱小資本の企業では、絶対に手を出してはいけないなと。だから見学を勧められたときも、最初はあまり気乗りしていなかったのです」

しかし、蒸留所を見学したところ、一気にその魅力に引き込まれた。

初めて訪れた蒸留所は想像していたものとは全く違っていた。ウイスキーを製造している過程が日本酒にはないものばかりでとても新鮮だったのだ。初めて見る蒸留器に気持ちが高揚していた。

決め手になったのは、若鶴酒造の創業家である稲垣貴彦氏がウイスキーを再興させるきっかけとなったエピソードだった。稲垣氏の曾祖父はかつてウイスキー造りに取り組んでいたのだ。

「50年前にひいおじいさんが作ったウイスキー樽を、稲垣さんが偶然見つけて飲んだらしく、そのときに電撃が走るくらい感動したそうです。実は私も杜氏が出してくれた新酒を初めて飲んだときに、背中に電撃が走ったのです。まさにそれと同じですね。自分と同じ体験を稲垣さんがしていたことに、運命的なものを感じました。ウイスキーは何かを未来に繋ぐことができると確信したのです」

日本酒と真逆…時間が経過するほど価値が出る

酒蔵の軒先に飾られている、杉玉(緑や茶色の大きな丸い玉)は、毎年11~12月に飾られ始め、その年の「新酒ができた」という案内になる。

この所以も日本酒が1年で飲み切る酒からきているのではないかと有巣氏は考えている。新酒ができると、新緑の杉玉に掛け変わって、それが熟して茶色くなって1年で熟成し、年が変わることでまた新しい杉玉に変わっていく。

筆者撮影
舩坂酒造店の軒先に飾られた杉玉